■節子への挽歌2214:DVの相談を受けました
節子
昨夜、関西にいる友人からDVの関係での相談を受けました。
その人の知り合いが東京にいるのですが、DVの被害にあっているようです。
それで相談に乗ってもらえる人はいないかというのです。
最近の事件報道を見ると、警察はあまり信頼できないのだそうです。
そこで、私の友人知人にメールで情報提供をお願いしました。
そうしたら、あっという間にたくさんの情報が集まりました。
それほどDVは、蔓延しているのかもしれないとショックでした。
なかには生々しい情報を送ってくれた人もいます。
DVも、たぶん加害者と被害者が峻別できない複雑な問題なのでしょう。
そこでは被害者の殺害や加害者の自殺まで起こっています。
社会が壊れだしている、一つの表れのように思われます。
それにしても、せっかく愛し合って一緒に暮らし始めた人たちが、なぜうまくいかなくなるのでしょうか。
最近は離婚率もとても高いようです。
そもそも結婚しない人も増えています。
私の娘の1人もまだ結婚していません。
親としては、とても心配であるばかりではなく、娘に申し訳なくて、仕方がありません。
たぶん私の、そして節子と私の、生き方のどこかに問題があったのでしょう。
心当たりがないわけではありません。
DVは、愛の表現の一つでしょうか。
そんなはずはないと思う一方で、それを完全には否定できずにいます。
食べてしまうほど愛しているという言葉がありますが、愛するあまり食べてしまったら、間違いなくDVです。
そうした猟奇事件も起こっています。
昔は、夫婦のケンかは犬でも食わないと言われていました。
結局はいつの間にか仲直りして、仲良くなるからです。
しかし、最近はそうではなくなってきたのかもしれません。
とてもさみしい話です。
もっとみんな伴侶を大事にしてほしいです。
かけがえのない存在なのですから。
| 固定リンク
「妻への挽歌12」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2400:怠惰な1日(2014.04.07)
- ■節子への挽歌2399:自分のための日(2014.04.06)
- ■節子への挽歌2398:第4期のはじまり(2014.04.01)
- ■節子への挽歌2397:菜の花は食べられてこそ喜ばれる(2014.04.01)
コメント