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2013/09/25

■節子への挽歌2215:チビ太の四十九日

今日はチビ太(チャッピー)の四十九日です。

わが家でのチビ太の居場所はリビングでした。
リビングとダイニングは続いていますので、夜、のどが渇いて冷蔵庫に飲物を飲みに行ったりする時には、チビ太を起こさないように気をつけて行ったものです。
長年その習慣がついているため、いまもいつも気をつけて行くのですが、電気をつける時に、「ああ、もうチビ太はいないんだ」と気づきます。
もう49日も経つのに、それがまったくなおりません。

朝起きていく時も同じです。
これまでは「チビ太、おはよう」と声をかけてリビングに入っていきましたが、今も同じように声をかけています。
いつもはほとんど忘れているのですが、リビングに入る時には必ずチビ太を思い出します。
その時の気分は、ちょっと悲しい気分です。

チビ太の位牌をどうするかは、まだ家族の意見が分かれています。
一番、最後まで面倒を見たのは、ユカですので、ユカの意見を優先させようと思います。
ユカは、当分、位牌をそのまま置きたいというのです。
節子よりも大きな位牌なので、私自身は違和感があります。
庭に埋葬しようと言うのが私の意見ですが、それにはユカは絶対反対です。
できれば、私も節子も庭に埋葬してほしかったくらいなのですが、人間の場合は法的にも禁じられているようですが、犬の場合はどうでしょうか。
しかしまあ、娘が反対なので、その可能性はありません。

遺骨をどう考えるかは、その対象との関係によってまったく違ってきます。
節子の遺骨は、私には節子と同じくらい愛おしいものです。
しかし、たぶん家族以外の人の遺骨には、そういう感情は起こりません。
むしろ身震いするほどの存在かもしれません。
不思議と言えば、実に不思議です。
よく遺体と一緒に長年暮らしていたというような事件がありますが、愛する人の遺体は、愛おしい存在ですから、なんの不思議もないのです。

チビ太との距離はどうもユカが一番近いようです。
まあユカに任せることにしましょう。
私は節子だけでもう手一杯ですので。

節子
四十九日を終えて、チビ太も彼岸ですね。
咬まれないようにしてください。

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