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2013/09/11

■水曜どうでしょう効果

最近、このブログへのアクセスが増えています。
理由は「水曜どうでしょう」の検索ワードでのアクセスのためのようです。
いま北海道で、「水曜どうでしょう祭」が開催されているのですが、その記事が朝日新聞に掲載されて以来、ずっと普段の2~3倍のアクセスが続いているのです。
オリンピックやフクシマなどの記事へのアクセスが増えているのかと最初は思ったのですが、理由は「水曜どうでしょう」だったわけです。
嬉しいような嬉しくないような、そんな気分です。

おそらく「半沢直樹」の記事を書けば、アクセスはまた増えるかもしれません。
自分のブログへのアクセスを増やす方法はいろいろとあるのでしょう。
書きたいことを書くのが目的であって、読まれることが目的ではないですから、そんなことをやったら本末転倒だと、私などは思ってしまいます。
読まれなければ書いても意味がないではないかと言われるとそれまでですが、読まれればいいというわけでもありません。

私はツイッターはやっていませんが、フェイスブックやブログやホームページ、あるいはメーリングリストやSNSはいくつかやっています。
そういう意味では、ソーシャルメディアなるものの恩恵も多少は受けています。
フェイスブックにも一時期、面白みを感じていましたが、最近は少し退屈しています。
私は、メッセージ型や案内型の記事を書くことが多いのですが、どんな記事にも「いいね」を押されると、なにやら違和感を持ってしまいます。
反対!とかいう反応もぜひつくっておいてほしいと思います。
いささか小難しく考えすぎているかもしれませんが、「いいね」の仕組みは、同調化社会を助長するのではないかと心配です。
いや、それがフェイスブックの目的かもしれません。
いずれにしろ、フーコーが指摘していた、本音を隠した相互監視の監獄社会へと向かっているようです。

それでもブログの場合は、心穏やかではないほどの辛らつな批判のメールが届きます。
匿名のメールは無視しますが、それでもやはり心が歪むようなものもあります。
読まなければいいのですが、やはり気になって読んでしまうのです。
大澤真幸さんが、「見られている不安」と「見られていないことの不安」とよく言っていますが、まさに私もそういう感覚になっているのだろうと思います。

ところで、「水曜どうでしょう」の番組ですが、登場する大泉さんや鈴井さんは、視聴者を意識していないというスタイルで、たぶん無意識に意識しています。
ややこしい表現ですが、ともかく2人とも、地の自分を楽しんでいるのです。
それが実に面白いのです。
へんに工夫されたところは、私には全く面白くありません。
過剰すぎるからです。

実は人間はみんな、本来、お2人のように面白い存在なのでしょう。
にもかかわらず、それぞれの役割を果たさなければいけないとばかり、無理をしてしまうので、自らもまわりも面白くなくなるのかもしれません。
この番組を見ていると、要するに素直に生きていれば楽しいのだということに気づかされます。

まだご覧になっていない方がいたら、だまされたと思ってぜひ一度、ご覧ください。
まったく面白くないと思ったら、ともかく見ながら笑ってみてください。
それで面白くなかったら、もう一度だけ、見てください。
それを繰り返していると、多分そのうち、面白くなってきます。
どのくらいかかるかは、保証の限りではありません。
面白くなる前に、腹がたってくる可能性もありますが、その時は、だまされたと思って、あきらめてください。
まあ、人生にはだまされることもよくあることです。


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