■節子への挽歌2196:「ちょっと動揺しています」
節子
友人からまた衝撃的な連絡が届きました。
私たちより一回り若い人ですが、がんの宣告を受けたそうです。
医療分野の人ですが、その報告の最後に、「ちょっと動揺しています」と書かれていました。
最近、こういうメールが時々来ます。
私よりも年上の方からのものだと、なんでもなく読めます。
がんの宣告だとしても、とくに驚くことはありません。
私自身、70歳を超えてからは、がんだと言われても、だからなんだと開き直れる気がします。
だから、同世代より上の世代の人に関しては、だから何なのという気がどこかにあります。
こう書くと冷酷なように思われるかもしれませんが、そうではありません。
がんも含めて、病気を患いながら老いていくのは自然の姿です。
70歳を超えれば、なにがあっても驚くことはないでしょう。
それにもう十分生きてきたのですから。
節子は62歳でしたが、それに比べれば、まあ満足してもいいでしょう。
それに、老いることを嘆くような生き方を、私はしたくありません。
健全な老いにとっては、歳相応な病もまた健全の証なのです。
しかし、私よりも一まわり以上も年下の人ががん宣告を受けるのは、衝撃的です。
そういう連絡をもらうと、なんと返信したらいいかわからなくなるのです。
そこで少し躊躇し、1日、間を置くこともあります。
黒岩比佐子さんの時には、1日どころではありませんでした。
相手が何か反応を待っていることはわかるのですが、言葉にならないのです。
「私もちょっと動揺しています」と言うのが、正直な反応ですが、そうも書けません。
慰めの言葉などは、もちろん思いもできません。
かといって、慰めないわけにもいきません。
節子が、がん宣告を受けた時の私の反応はどうだったでしょうか。
たぶん節子と一緒に動揺していただけでしょう。
最近は、「ちょっと動揺」することが増えています。
自分の病は泰然としていられても、自分よりも若い人の病には、やはり動揺してしまいます。
困ったものです。
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