■節子への挽歌2201:「知識は、不幸にすることもある」
がんの疑いがあって精密検査中の医療関係の友人から、メールが来ました。
夫に言われた言葉があります。医療関係者は、病気のことを知っていると思っていますので、先のことを過剰に考えてしまうのかもしれません。
「知識は、不幸にすることもあるんだよ」と。
「知識は、不幸にすることもある」ということは、とても共感できます。
これは、病気に限ったことではありませんが、難病やがんなどの場合には、特に当てはまるかもしれません。
罹病した人や家族は、知識を集めようとします。
問題は、どこまで知ろうとするかです。
知れば知るほど、いいということでもないのです。
人によって違うでしょうが、私の場合は、もう少し知ろうとするべきだったという思いが抜けません。
その悔いが、私を時々、追い詰めます。
知ることによって、不幸になることがある。
実は、私にもそんな思いがあり、私は途中で逃げてしまったのです。
だから改めてその言葉に出会うと、共感する一方で、心が痛みます。
実に不思議なのですが、節子は私以上に淡々としていました。
節子は、手術後の数か月は落ち込んでいましたが、そこから抜け出た後は、いつも明るく、その時々をともかく大切に生きていました。
私には、愚痴ひとつこぼしませんでした。
私たちは、あまり先を見ようとしていなかったのです。
それは「逃避」だったのかもしれませんが、私にはそうは思えません。
節子が旅立つまでの数年間は、ある意味では、とても幸せだったかもしれません。
この言葉を読んで、そんなことを思い出しました。
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