■節子への挽歌2212:「死者」の誕生
節子
鷲田さんの「〈ひと〉の現象学」は面白かったです。
そのなかに、「ひとは死して、生者から死者への語りかけのなかで、こんどは生者に語りかける死者として生まれなおす」という文章が出てきました。
とても納得できました。
死は「死者」の誕生なのです。
生者と死者は違う世界に生きていますが、お互いに語りかけが出来るのです。
私は、毎朝、節子に語りかけ、挽歌を通しても、節子に語りかけています。
節子もまた、私に語りかけてきています。
他の人には聞えないでしょうが、私には聞えます。
語りかけは、一方的な行為ではなく、関係性の現象だからです。
語りかける生者がいないこともさびしいことでしょうが、語りかける死者がいないこともさびしいことです。
そのことに気づいていない人が多いように思います。
いや、もしかしたら、死者に語りかけることを知らない人も、最近は増えているのかもしれません。
それにしても、「人は死ぬことで死者として生まれる」という発想が新鮮でした。
もし、人が此岸と彼岸を転生しているのであれば、まさに死は生を、そして生は死を意味します。
そして、此岸と彼岸とが語り合える世界であるのであれば、そういう関係での生き方を学ぶのが良さそうです。
明日はお彼岸の中日です。
| 固定リンク
「妻への挽歌12」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2400:怠惰な1日(2014.04.07)
- ■節子への挽歌2399:自分のための日(2014.04.06)
- ■節子への挽歌2398:第4期のはじまり(2014.04.01)
- ■節子への挽歌2397:菜の花は食べられてこそ喜ばれる(2014.04.01)
コメント