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2013/09/19

■節子への挽歌2209:パスカルには賛同できません

パスカルは「パンセ」のなかで、こう書いています。

だれかをその美しさのゆえに愛している者は、その人を愛しているのだろうか。いな。なぜなら、その人を殺さずにその美しさを殺すであろう天然痘は、彼がもはやその人を愛さないようにするだろうからである。
〈中略〉
人は、ある人の魂の実体を、そのなかにどんな性質があろうともかまわずに、抽象的に愛するだろうか。そんなことはできないし、また正しくもない。だから人は、決して人そのものを愛するのではなく、その性質だけを愛しているのである。
私は、パスカルのこの主張には全く賛成できません。
たぶんパスカルは、人を愛したことのない、不幸な人だったとしか思えないのです。
人を愛するのは、「美しさ」や「優しさ」などではありません。
愛することには、理由などはありえないのです。
ただ純粋に、愛してしまったということです。
これは定めとしかいいようがありません。
あるいは事故といってもいいかもしれません。
ただそれでは納得できないので、理由をいろいろと考え出すのです。

このことは、愛が冷めた時のことを考えれば納得できるでしょう。
愛が冷めるのもまた、理由などないのです。
それまで好きだったことまでもが嫌いになってしまうことはよくあります。
つまり、それもまた、定めであり事故なのです。

パスカルは、愛を小賢しく分析するべきではありまえんでした。
愛に関する本は、いまもたくさん出ています。
私は読んだことがありませんが、たぶん人を愛したことのない人たちが、そうした本を書くのでしょう。

今日、ある本を読んでいて、引用したパスカルの言葉を知ったのですが、違和感を持ったので、書いてしまいました。
私が節子を愛したのは、定めか事故かのいずれでしょう。
一応、私は定めだと思っていますが、事故だったのかもしれません。
節子が私より早く旅立ったのも、定めか事故だったのでしょう。
それに抗えなかったのが、実に無念です。
変えなければいけない定めや避けなければいけない事故もあるからです。
パスカルのように、小賢しい説明はしたくはありません。

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