■節子への挽歌2218:「坊さんのような生き方」
節子
今週は3つのサロンを湯島で開きました。
軽い話もあれば、重い話もありました。
今日は、自殺未遂をした吉田銀一郎さんを主役にしたサロンでした。
吉田さんとは3年の付き合いですが、この3年で大きく変わりました。
今日はいろいろと話を聞いた後、もう自殺問題の当事者などといわずに、今日からは支援者になろうよと吉田さんに話しました。
吉田さんも、ようやく決断しました。
3年かかりましたが、とても嬉しい日になりました。
これで変わらなければ、今度こそ吉田さんを蹴飛ばさないといけません、
終わった後、小宮山さんたちと居酒屋に行きました。
小宮山さんとの付き合いは、もう15年以上でしょう。
友人が主宰していたソシオビジネス研究会で私の講演を聴いてくれて、それが付き合いの始まりでした。
小宮山さんが、その時、私の話をどう受け止めたか、今日、初めて教えてもらいました。
「坊さんのような生き方をしている人だな」と思ったのだそうです。
これはちょっと意外、いや、大いに意外でした。
私は、時代の最先端を行く生き方をしているという自負があったからです。
ビジネスに関しても、時代先取りの話をしたつもりですが、おそらく誰にも理解してもらえなかったのでしょう。
私の話を聞いて、その後、付き合いが始まったのは、2人の学生だけでしたが、ビジネスをやっている人にはまったく受けなかったのでしょう。
にもかかわらず小宮山さんは、その時から時々湯島に顔を出し始めました。
今週は、なんと2回もやってきました。
人生は実に面白いものです。
しかし、「坊さんのような生き方」と言われたことはこれまで一度もありません。
あまりに意外な言葉だったので、いささかひるんでしまって、「坊さんのような生き方」って、何ですか、と質問するのを忘れてしまいました。
小宮山さんの口ぶりからして、どうもほめられたのではないことは間違いありません。
人の生き方は、自分が思っているのと他者が思っているのとは、違うものです。
これまで何回もそれを経験してきました。
どちらが正しいかどうかは言えませんが、たぶん大切なのは自分の思いではなく、他者の受け止め方でしょう。
人の評価を決めるのは、決して自分ではないからです。
さて「坊さんのような生き方」ですが、やはり違和感があります。
そう思われないように、生き方を見直す必要がありそうです。
と、ここまで書いてきて、ハッと気づきました。
そういえば、小宮山さんは私に時々、お布施をくれるのです。
「坊さんのような生き方」とお布施。
なんで小宮山さんはお布施をくれるのだろうかと理解できていなかったのですが(にもかかわらずもらっています)、いまやっと理解できました。
私は、小宮山さんには、いまも「坊主」なのです。
そういうことだったのです。
気づくのが遅かったです。
もらったお布施は誰かに回さないといけません。
でもまあ一応、お布施はちゃんと次に回していますから、バチは当たらないでしょう。
しかし、「偽坊主」にならないように、注意しなくてはいけません。
節子
お坊さんではなく、お坊さんに送ってもらう人になりたいのに、なかなかなれずにいます。
困ったものです。
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