■節子への挽歌2211:すべてのさいわいをかけて、まっすぐにすすむ
節子
今日は、宮沢賢治の命日です。
賢治が旅立ってから80年目です。
30年ほど前に前世で一緒だったという人が私を訪ねてきました。
どうも私は花巻高校に縁があったようです。
となると、私は前世で賢治とすれ違っていたかもしれません。
その人から、ある場所を教えられ、そこに行けば前世を思い出すといわれました。
だいぶ考えたのですが、そこには行きませんでした。
前世を思い出すことは、少し不謹慎な気がしたからです。
しかし、いまはちょっと後悔しています。
賢治の残した「永訣の朝」は、この挽歌でも何回か書きましたが、学生の頃からともかく心に響いた詩でした。
合間にはいる
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
という言葉が、なぜか一度読んで以来、心から消えません。
その響きは、以前、どこかで聞いたような気がします。
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
雨にもまけずは、実はあんまり好きな詩ではなかったのですが、会社を辞める頃から、私の生き方の信条になりました。
世界のみんなが幸せにならないと自分も幸せにはならないという、賢治のメッセージは、歳を重ねるに連れて、とても実感できるようになりました。
そんなわけで、賢治は私にとっては、とても興味のある人です。
賢治の言葉は、どれも心に響きます。
根底に、大きな愛を感じます。
私も、そんな生き方をしようと思っていた時期がありました。
でも、賢治のようにはなれません。
久しぶりに今日、「永訣の朝」を読みました.
これまであまり気にならなかった2つの文章が心に残りました。
「わたくしもまっすぐすすんでいくから」
「わたくしのすべてにさいわいをかけてねがふ」
それぞれ、真ん中と最後に出てくる1行です。
まだまだ賢治には遠いです。
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