■節子への挽歌2203:ちょっと哲学者
節子
今日も湯島でしたが、予定が少し変わって、1時間半、無為の時間がとれました。
予定していた人が来られなくなったおかげです。
で、何もせずに、なんとなくオフィスでぼーっとしていたのですが、お昼を食べるのを忘れていたことに気づきました。
その人と一緒に食事をする予定だったのです。
お昼を忘れるとは、実に困ったことです。
まあこれからのミーティングに備えて、冷蔵庫にあったサプリメントを飲みました。
これで5時までは大丈夫でしょう。
節子がいた頃も、私はよく昼食を食べるのを忘れました。
忘れなくとも、一人で昼食を食べにお店に行くのが不得手でした。
それで、「まあいいか」とお昼を抜くことが多かったので、節子はお弁当をつくってくれるようになりました。
私には、一人で食事をするのが、とにかく嫌いなのです。
いや、そもそも食事をすることもあまり好きではありません。
食事をする必要がなければ、どんなにいいかと思います。
ところで、1時間、何をしていたかと言えば、なんとなくだらだらとネットを見たりもしていましたが、植え木に水をやったり、テーブルの上のメダカを見ていたりしました。
メダカは2匹が元気にしていますが、水草がなかなかうまく定着できずにいます。
メダカの動きをみていると退屈はしません。
実に楽しそうに泳いでいます。
節子がいた頃は、もしかしたら、私たちもこのメダカのようだったのかもしれません。
メダカは、何も考えずに、ただただ楽しんでいるのでしょう。
人間も、メダカのように楽しく生きられるだろうに、どうしてみんな苦労するのでしょうか。
節子がいなくなってから、生きることの意味をいろいろと考えたりもしましたが、メダカの境地にまでも、まだ届けていないようです。
メダカを見ていると、ちょっと哲学者になれそうです。
| 固定リンク
「妻への挽歌12」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2400:怠惰な1日(2014.04.07)
- ■節子への挽歌2399:自分のための日(2014.04.06)
- ■節子への挽歌2398:第4期のはじまり(2014.04.01)
- ■節子への挽歌2397:菜の花は食べられてこそ喜ばれる(2014.04.01)
コメント