■節子への挽歌2216:時間はあっても余裕がないこともあります
節子
今日はまた大きなトラブルが舞い込んできました。
最近はいささか精神的に疲弊していますので、トラブルを楽しむ余裕もありません。
悪い時には悪いことがどんどん重なっていくのです。
人生は、実に皮肉で、ひとつがうまく行きそうになると、うまく動き出したと思っていたことが破綻しだしたりします。
たぶん私自身の目配りに間違いがあるのでしょうが、それにしてもどうしてこうもトラブルが多発するのか。
人を信頼して生きるということに、いささかの自信がなくなってきます。
昨日、小宮山さんが私に携帯や会社に電話してきて、何回、かけても私が電話に出なかったので(ただ気づかなかっただけなのですが)、心配して自宅にまでかけてきたそうです。
オフィスの留守電に気づき、小宮山さんに電話したのですが、「佐藤さんが倒れたのではないかと心配した」と言われました。
まあ、この歳になると笑い話でも済まされない話です。
小宮山さんも、私の心労のタネを少しだけ知っているので、心配したのです。
自分はともかく、ほかの人に心配させるようでは、生き方が間違っているとしか思えません。
それにしても、今日はまたダブルパンチ的な悪い情報がふたつも飛び込んできました。
そんなわけで、今日は挽歌を書く余裕がありません。
書く時間はあるのですが、書く余裕がないのです。
まあそういう時もあるでしょう。
節子
あなたがいなくなってから、良いことがありません。
困ったものです。
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