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2013/10/26

■節子への挽歌2246:アパティア

節子
先日、エピクロスのことを書きましたが、エピクロスと対照的な哲学者として、よく取り上げられるのが、同時代人のキプロスのゼノンです。
快楽を重視したエピクロスのキーワードは「アタラクシア」(心の平静)ですが、ゼノンのキーワードは「アパティア」でした。
ただし、アタラクシアとアパティアとは、対語ではありません。
いずれも目指したのは、「心の平静」です。

アタラクシアに関しては、以前書いたことがあります。アパティアは、英語のアパシー(無関心、無感動)の語源となったギリシア語で、「感じない」という意味だそうです。
ゼノンは、外部の事柄には無関心、無感覚でいるのがよいとしたのです。
ゼノンの思想は、その後、ストア派として発展し、ストイック(禁欲的)という意味になっていきます。
私自身は、エピクロスの快楽主義も、ゼノンの禁欲主義も、そう違わないように思っています。
いずれも、自らの思うように生きるのがよい、と言っているように感ずるのです。
ちなみに、私は「アパティア」を無関心ではなく、中立的と勝手に解釈しています。
そして私は、自らの思うように生きることに誇りを持てる生き方をしたいと思っています。
そういう考えに至ったのは、仏教の「大きないのち」の考えを知ってからです。

喪失体験をすると、ある意味で人はアパティアを体験します。
あるいは過剰な快楽を求めることもあるかもしれませんが、それは決して、エピクロスの言う快楽ではなく、心の平静とは程遠いものでしょう。
ストア派とエピキュリアンのことは高校時代に学んで知っていましたが、アタラクシアとアパティアの言葉を知ったのは、節子を失ってからです。
そして最近ようやく、私がストア派とエピキュリアンとは同じなのではないかと感じていたことの意味が少しわかりました。

節子との暮らしでは、私は節子にいささかコミットしすぎだったようです。
いや、それこそが「愛」ということなのかもしれません。
特定の人を愛することは、決して心の平静をもたらさないのです。
心を平静にしていくためには、すべてを愛さないといけないのです。
いや、正確に言えば、心が平静であれば、すべてを愛せるのです。

なにやら気恥ずかしいのですが、最近そんな気がしてきています。

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