■節子への挽歌2238:死が見えるようになってきた時代
節子
台風が大きな原因になって、伊豆大島では50人近い死者が出てしまいました。
実に痛ましいことですが、最近、気になる事があります。
一昨年の東日本大震災以来、「死」が社会の前面に出てきたことです。
よく言われるように、1945年の日本の敗戦は、日本文化の基層にある哲学を「死」から「生」へと変えました。
武士道に代表される、死を意識した生き方よりも、生を謳歌する生き方へと変わったといってもいいでしょう。
それは同時に、人と人とのつながりを壊し、生命をおろそかにすることにもつながったように思いますが、日常生活から「死」は次第に見えないところへと追いやられていったように思います。
その流れを変えたのが、東日本大震災でした。
その報道の中で、私たちはたくさんの「死」に出会いました。
それに関しては、あえてここで書くこともないでしょう。
それと同時に、「つながり」への動きも回復してきました。
死とつながりは、決して無関係ではありません。
みんなが「死」を意識した生き方に変わったわけではありません。
しかし、「死」を見てしまった人の生き方は変わります。
直接見なくとも、多くの死、しかも理由もなく、普通の生活のなかで突然見舞われた死の報道を浴びせられるように受けているうちに、私たちの生き方は変わってきているはずです。
そのせいか、最近は「死」が前面に出てくる報道がますます増えているように思います。
報道の姿は、時代の実相を反映しているように思います。
東日本大震災よりも一足早く、節子の死を体験することで、死が私の日常の現実の中に入ってきました。
「死」、そして「生」への意識は一変しました。
当然のことですが、「死」は常に日常の隣にいます。
しかし、節子の死を体験するまでは、それは生活から遠いところにありました。
両親の死も体験していますが、それはある意味で、素直な歳のとリ方のなかでの一つの日常の事件でしかありません。
しかし、自分よりも年下の伴侶を失うことは、決して、日常ではないのです。
節子の死は、私には大きな生き方の変化をもたらしました。
同時に、生きることの意味も一変したように思います。
ところが、東日本大震災の後、私だけではなく、社会全体が死を過剰に可視化してきているような気がしてなりません。
死は決して隠すものではありませんが、最近のように、死が克明に、しかも「客観的な事実」賭して語られだすことには、大きな違和感があります。
死は、やはり、個人の思いのなかで、ひっそりと見えるのがいいように思います。
あまりに死がおおっぴらに語られることに、いささかの不快感さえあります。
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