■国会幻想
久しぶりに短い時間でしたが、国会の予算委員会の中継を見ました。
ちょうど共産党の笠井さんが福島原発事故の汚染水の問題を取り上げていました。
茂木経産相と安倍首相が応えていましたが、全く質問に答えずに、延々と違う話を繰り返していました。
こういう場面をぜひ多くの人に見てもらいたいですが、安倍政権はともかく事実を語ろうとしません。
そうした体質が現政府の提案する法案に通底しているような不安が拭えません。
国会中継を見るたびに思うのは、政府側の出席者の表情がみんな死んでいることです。
質問者の意見を聞いて、何かを考えるとか、一緒に議論するとかいう様子は皆無です。
義務として、そこに参加し、質問をかわすことにしか関心がないように見えてなりません。
実にもったいない話です。
折角の議論の場であれば、与党野党を問わずに、真剣に問題解決に向けての話し合いをするべきですが、そういう姿勢は政府閣僚にはほとんどないといっていいでしょう。
ですから見ていて虚しくなるわけです。
これは、どこかで大きく間違っているというべきでしょう。
言葉遊びをするのではなく、立場を超えて誠実に話し合う。
それがなければ国会は存在意義がありません。
そろそろ国会幻想は捨てなければいけません。
しかし、国会でなければ、どこで国家の方針は決められているのでしょうか。
政治の枠組みそのものが、組み替えられる時期に来ているように思います。
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