■節子への挽歌2244:故人と共同存在
節子
私たちが自らの存在の不安を感ずるのは、身近に死を体験した時です。
この数十年、私たちは死を見ないような生き方をしてきました。
幸か不幸か、私たちは同居していた両親の死を体験し、最後まで見届け、葬儀も執り行いました。
以前の日本では、こんなことは当たり前だったでしょうが、いまの日本は必ずしもそうではありません。
同居の家族の死を体験したかどうかは、大きな違いを生むように思います。
そして、私は、それに加えて、伴侶である節子の死を体験しました。
両親の死の体験とは、それは全く違うもので、いわば節子と一緒に死を共体験したような気さえします。
この体験をした人は、さらに少ないでしょう。
生活を共にしている人の死は、別れであると同時に、ある意味での絆を生み出すような気がします。
哲学者のハイデッガーは、「死者は、遺族から突然奪いとられてしまうかもしれない。だがふつう私たちは遺族として、葬式などの儀式をとり行い、「故人と共同存在」していると思いこんでいる」と、その著書に書いているそうです。
ハイデッガーが、そんなことを書いているとは思ってもいませんでしたが、これは時間論にもかかわる話でもあります。
私の感覚は、まさにいまなお「節子と共同存在」しているという感じなのです。
普段は、そんなことを意識したことはありません。
理性的には、節子はもう彼岸の人であることを知っているからです。
しかし、例えば、朝起きて、まだ頭がいささかぼーっとしている時、あるいは真夜中に目が覚めた時、さらには精神的に疲れ切って思考力が散漫になっている時、誰かに救いを求めたくなるほど不安にかられた時、ふと、横に節子を感ずることがあります。
節子の位牌のある仏壇は、わが家のリビングにあります。
朝、起きて、まず最初に私がすることはリビングのシャッターを開けることなのですが、暗いリビングに入っていくと、そこに節子の気配を感じ、思わず声をかけます。
節子だけではありません。
つい最近まで、そこにいた、チビ太を感ずることもあります。
節子ばかりひいきにするとチビ太がひがむといけないので、大きな声で「チビ太、元気か」とわけのわからない声をかけることもあります。
共に暮らしていた人は、死者になっても一緒に暮らしているという感じが、私の場合はまだ残っています。
これは私には大きな支えです。
もちろんそれ以上の支えは、私の場合は、娘たちの存在です。
娘たちには感謝していますが、やはり節子との共同生活の感覚がなければ、いまの私の生活はないでしょう。
「故人と共同存在」をするための葬儀。
それが十分にできない被災地でのみなさんの辛さを思うと、心が沈みます。
ましてや、その死者がいまもなお存在している福島や大島から離れなければいけない人たちの辛さに、心が痛みます。
故人との共同存在の支えは、たぶん体験した人でないとわからないでしょう。
私は、もう転居はできないだろうと思っています。
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