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2013/10/27

■節子への挽歌2247:節子だったらどうしたか

節子
時評編のほうで、昨日と今日、「生き方を問い質す3つの話」を書きました。
ホームページにも掲載しました。
どうも最近、生き方に迷いがあります。
そこにようやく気づきだしました。

昨日からテレビでは、みのもんたさんの去就が話題になっています。
彼の次男が犯罪を起こし、それに関連して、みのさんが親としてどう責任を取るかが注目されています。
昨日、事件発生後2か月を経て、初めてみのさんは記者会見を行いました。
かなり芝居がかっていましたが、真情も感じました。
私が一番心に残ったのは、先立たれた妻だったらどうしただろうかという話でした。
この言葉は、真実ではないかと思います。

人は話しながら考えます。
一人で頭の中だけで考えていると堂々巡りしたあげく、おかしな方向に進みだすことがあります。
節子がいる時には、あまり意識はしませんでしたが、話し相手がいるかどうかは意識や行動に大きな違いをもたらします。

みのさんは自分の間違いに気づくのに2か月かかりました。
おそらくその間、亡き奥様といろいろと話したのでしょう。
長年連れ添っていると、そこにいなくとも、相談はできるのです。

さて私の場合ですが、最近、節子に問うことを忘れていたような気がします。
節子だったらどうしたかは、時に考えることはあるのですが、結局、まあこの問題なら私に賛成するだろうと安直に考えるようになってきています。
要は、ちゃんと相談していないと言うことです。
やはり目の前にいないと、都合よく考えてしまいがちです。

目先の問題は、仕方がないかもしれません、
しかし大切なのは、目先の問題ではありません。
自らの生き方、自らの律し方です。
みのさんの記者会見を聴いていて、それに気づきました。

さて、生き方を問い質す3つの話ですが、節子ならどう思うでしょうか。
それも含めて、もう少し考えたいと思います。
節子と私は、考え方や行動において、少なからず違いがありました。
だからこそ話し合いの意味があった。
そのことを最近少し軽んじていました。
困ったものです。

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