■節子への挽歌2234:天才に会いました
節子
今日は天才に会いました。
電気はなぜ電線を流れるのかがわからないというのです。
わからないことをわからないと素直にいえる人は、やはり天才でしょう。
水素からヘリウム、リチウムと並ぶ化学元素表を、私は美しいものと感じていました。
しかし、その人は、あれは水素から始まる変化の表だと言うのです。
つまり、宇宙の最初に水素があった。
そこからヘリウム、リチウムと次々と元素が生まれた。
セシウムも、水素から生まれた。
だとしたら、セシウムは水素の戻せるはずだと言うのです。
これだけ聞くと説得力はないでしょうが、私は直感的に、この人は天才だと感じました。
みんなが発想の起点にしている知の体系の向こう側が見える人なのです。
あんまり挽歌には相応しいテーマではありませんが、時評編に書いても相手にされないでしょうから、あえてここに書いておくことにしました。
もし節子がいたら、私は興奮して話していたでしょうから。
その人の発想は、私と非常によく似ていました。
原発事故への対応も、私が思っているのとほぼ同じでした。
小学校の生徒が、たぶん考えつくような対策ですが、なぜか誰も言い出しません。
それを、その人ははっきりと話しました。
つまり子どもの目で見ているのです。
だから私は、その人を信頼できます。
しかし、その深さにおいては、私の比ではありません。
だから私は凡人で、彼は天才だと思ったのです。
私は、多くの場合、与えられた公理的な知を基盤に考えてしまいますが、その人はそれさえ疑います。
疑うと言うよりも、公理の先が見えてしまうのでしょう。
私には、天才としか思えなかったのです。
その人は田中さんといいます。
大宰府の加野さんが、東京にいったら、私に会えというので、明日からの福島出張の前日にやってきて、私と会ったわけです。
加野さんと心が通い合うはずです。
2時間の田中さんとの話は、実に楽しく共感できました。
最近疲れきっていましたが、今日は実に良い出会いでした。
不思議な出会いではありますが。
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