■放射線汚染水の流出に思うこと
伊豆大島での台風の大きな被害が報道されている中で、福島原発の汚染水の放出が小さく報じられていますが、こうした毎日のように報道されると、感覚が麻痺してきます。
日常化してしまうと、なんとなく見過ごしてしまうのが人の習性です。
それが良いことなのか悪いことなのか、にわかには判断できませんが、私にはかなり気になります。
汚染水はどんどんたまっています。
それをどうするのかという案は検討されているのか、なかなか見えてきません。
しかし、汚染水のセシウムを粘土に固着させ、体積を減らすとともにコントロールしやすくするという取り組みがなぜ進まないのか、実に不思議です。
柏崎刈羽原発の再稼働に関して、放射性物質の影響を低減させるフィルター付きベント(排気)設備の二重化が話題になりました。
「放射性物質の影響を低減させるフィルター」というのがあるとしたら、汚染水処理にも使えるような気がします。
汚染度の次元が違うとしても、所詮は量的な違いですから、原理的には汚染濃縮はできるはずです。
これは、高度な技術の問題ではなく、生活レベルで考えられる簡単な原理です。
放射線科学というと、高度なように考えがちですが、所詮は簡単な原理の積み重ねのはずです。
そのことは、福島原発が事故を起こした直後の対応を考えれば、よくわかります。
放射線科学の専門家は、小学生が知っているような簡単なことをおろそかにしています。
そして今もそれは続いています。
汚染水の流出は、それこそ小学生でもわかることがやられていないだけの話であって、原子力規制委員会に所属する専門家にも気づかない話なのです。
難しい知識があればよい話ではありません。
専門家は難しい話は知っていても、簡単な話は知らないことが多いのです。
それを忘れてはいけません。
汚染水が毎日何百トンも増えているといわれますが、それ以上の速度で減らすことを考えないといけないと思いますが、なぜそうならないのか。
どこかにボタンに掛け違いがあるのではないか。
台風の被害報道の片隅で報道された、汚染水の放出のニュースを聞きながら、そんなことを考えていました。
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