■「望む」「できる」「知る」
「生き方」に関わることを2つ書いたので、どうせなら3部作にしようと思います。
バルザックの「人間喜劇」の一編に、『あら皮』という小説があります。
その作品のことを思い出しました。
野心に燃えた若者が、骨董屋の老人から、なんでも望みをかなえてくれるという「あら皮」(なめしていない皮)をもらいます。
その時、その老人はこう話すのです。
ひとつ手短に、人生の大きな秘密というものを教えて進ぜよう。これまた含蓄ある話です。
人間というものは、本能でやらかすふたつの行為によって命の源をからし、身を弱らしてゆくものだ。この死の原因となるふたつのもののさまざまな姿は、みんな「望む」と「できる」というふたつの動詞によって示されている。
この人間の行為の両端のあいだには、賢い人だけがつかむことのできる、もうひとつの言葉がある。このわしも、そのおかげで幸せになれたし、長命もできたというわけだ。
「望む」という気持はわれわれを焼き、「できる」という気持はわれわれを滅ぼす。ところが「知る」というやつがあって、それがわしらの弱い肉体を常住不断にやすらかにしてくれる。
私たちは、多くの場合、「知る」とついつい「望む」「できる」へと行動を起こしてしまいます。
しかし、「知る」先にあるのは「望む」「できる」だけではないというのです。
では何があるのか。
みなさん、何だと思われますか。
これで「生き方3部作」は終わります。
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