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2013/10/14

■節子への挽歌2233:植物と私の元気の違い

節子
昨日は徹底的にのんびりしました。
流れを変えるためには止まらないといけません。
ぼーっとしていたら、挽歌に書きたいことが頭に浮かびました。
しかし、そのままぼーっとしていて、夕方、パソコンに向かったら、なぜか思い出せなくなってしまいました。
以来、ずっと考えていましたが思い出せません。
それで昨夜は挽歌も書かずに寝てしまいましたが、朝になっても思い出せません。

今朝は良い天気です。
それで久しぶりに畑に行ってみました。
久しぶりですが、とんでもないことになっていました。
セイタカアワダチソウと笹が元気に覆い茂っているのです。
手の施しようもありません。
とりあえずセイタカアワダチソウだけはほとんど抜きましたが、草の茂り具合は半端ではありません。
暑さに手を抜いていたら、まさに「倍返し」どころか「十倍返し」にあったような感じです。
植物の、この元気の良さはいったいなんなのでしょうか。
その元気のおこぼれをもらいたいと、真剣に思いました。

植物と私の元気の違いの理由は明らかです。
植物には邪念がなく、小賢しさもない。
私には、まだまだ邪念が多く、小賢しさもある。
そのうえ、節子への未練さ、まだあるのです。
そこが違いです。

「レナードの朝」という映画の最後に、セイヤ医師が「私たちは一番大切なものをなくしてしまっている、それは純真な気持ちだ」とスピーチしていました。
なぜか、セイタカアワダチソウを抜きながら、その言葉を思い出しました。
そして、なぜ私たちは、植物のように、素直に生きることができないのだろうかと思いました。
邪念なく、素直に生きていたら、春になったらまた生まれてこられるのかもしれません。
邪念なく、現実に誠実に向き合っていたら、春が来るのかもしれません。
たまには畑に行かなければいけません。
自然から教えられることはたくさんありますから。

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