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2013/10/30

■「知る勇気をもて」

博学の無知偽装と隠蔽の社会と書いてくると、やはりカントの警告を思い出さないわけにはいきません。
引用が多くなりますが、書いておきたくなりました。

カントは、「啓蒙とは何か」という小論の中でこう書いています。

啓蒙とは、人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。
偽装と隠蔽の広がりは、無知での安住と裏表です。
隠蔽や偽装は無知によって支えられているからです。
原発に関しては、それが40年も続いてきているのです。
そこに立ち返らない反原発は虚しいスローガンでしかありません。

カントは、自らの身を例にして、わかりやすい説明をしてくれています。

わたしは、自分の理性を働かせる代わりに書物に頼り、良心を働かせる代わりに牧師に頼り、自分で食事を節制する代わりに医者に食餌療法を処方してもらう。そうすれば自分であれこれ考える必要はなくなるというものだ。お金さえ払えば、考える必要などない。考えるという面倒な仕事は、他人がひきうけてくれるからだ。
今の私たちの暮らしは、あまりに多くの外部のものに依存しています。
たとえば、健康のためにサプリメントに依存することへの違和感を持つ人はそう多くはないでしょう。
依存が日常化しているからです。
そして、それこそが「経済成長」に基礎だからです。

カントはまた、こうも書いています。

ほとんどの人間は、自然においてはすでに成年に達していて(自然による成年)、他人の指導を求める年齢ではなくなっているというのに、死ぬまで他人の指示を仰ぎたいと思っているのである。その原因は人間の怠慢と臆病にある。というのも、未成年の状態にとどまっているのは、なんとも楽なことだからだ。
ではどうしたそこから抜け出せるか。
カントは、「知ることに果敢であれ」ということだと言います。
以前も書いたことがありますが、「自分の理性を使う勇気をもて」ということです。
それこそが、人間だからです。
それは決して楽なことではありませんが、自分を生きることこそが人生であると思えば、自ずと生まれてくる勇気です、

カントは「後見人とやらは、飼っている家畜たちを愚かな者にする」と書いていますが、まるで現代の状況を予見しているようにも思えます。
愚か者から抜け出るように、反省しなければいけません。

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