■節子への挽歌2239:挽歌を読まれることは悪い面もあれば良い面もあります
節子
ある研究会に招かれて、久しぶりにお話をしてきました。
研究会の代表は、私のことをあらかじめ知るために、私のサイトなどを見たそうで、この挽歌もどうやら目に入ったようです。
私の紹介の時に、そのことにも言及してくれました。
私は自らのほぼすべてをネットで公開していますので、仕方がないのですが、時にいささか気恥ずかしかったり、困ったりすることもあります。
以前、ある大企業の研修の講師を間接的に頼まれたことがありますが、引き受けて準備を始めようと思ったら、間に入った人から、実は企業の担当者が佐藤さんのホームページを読んで、こんな宇宙人のような人に話をしてもらうのは心配だと断られてしまいました、と連絡してきたことがあります。
まあ納得できる話です。
それなどはよくある話なのですが、私のすべてを読まれていると思うと、何か偉そうなことを言っても迫力が出ないということもあります。
困ったものです。
少しは見栄を張ればいいのですが、これだけいろいろと自らを公開していると、見栄も嘘もどこかでばれてしまいます。
挽歌に言及してくださった代表の方は、これほどまでに奥さんを愛せるのはある意味で羨ましいとも話してくれました。
その言葉は素直に受け容れさせてもらいました。
しかし、言い方を換えれば、そうとしか言えないというのが実際でしょう。
羨ましいと言うよりも、ちょっとおかしいんじゃないのか、と言われているような気がしないでもありません。
それも含めて、素直に受け入れさせてもらったと言うことです。
しかし、私の最大の欠点は、節子の事が少しでも話題になると、元気が出てきてしまうことなのです。
実は昨日、まためまいがしてダウンしかけたので、心配していたのですが、そのおかげもあって、今日は久しぶりに3時間のスピーチを楽しくつとめさせてもらいました。
節子が守ってくれたのかもしれません。
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