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2013/10/29

■隠蔽と偽装で覆われた社会

「嘘をつくことをとがめてはいけない文化」が公認されて、広がりだしたのは、小泉政権からだと私は思っています。
それについてはホームページで書いたことがあります。
それから10年以上が経ちましたが、社会の隅々までその文化は広がりました。
そして、いまや隠蔽と偽装が社会を覆いだしています。
阪急阪神阪急ホテルやリッツ・カールトンのメニュー偽装は、そうしたことの一つの現れでしょう。
相変わらず経営者には罪の意識はありませんが、それは「嘘をつくことをとがめてはいけない文化」の中でのビジネスとしては、許される逸脱だと思っているからでしょう。

秘密保護法やTPPも、「隠蔽と偽装」で覆われています。
原発事故や原発再稼動に関する動きも、「隠蔽と偽装」が幾重にも重なっていて、当事者でさえ、どこまでが「隠蔽と偽装」かわからなくなっているはずです。
秘密保護法の議論で明らかになってきたことは、隠蔽が隠滅に向かっていることです。
偽装はめんどうなので、隠蔽したくなるわけですが、隠蔽も面倒になって、すべてを隠滅してしまうと言う動きになっていくわけです。
こうなるともう防ぎようがありません。
社会は歴史によって支えられますが、記録の隠滅は歴史の隠滅につながります。
それは未来の隠滅でもあるわけです。

多くの人は、しかし、真実よりも偽装や隠蔽を好みがちです。
余計なことを考えずに済むからです。
せっかく高いお金を出して味わった料理が偽装だったと知ったら悲しいでしょう。
騙されていたほうが幸せなこともあるわけです。
たとえがメニューなので納得し難いでしょうが、原発事故はどうでしょうか。
どこかで「騙されていたい」という心理は私たちにないでしょうか。
経済成長が自分の生活を豊かにしてくれるということを信じたいと思う人も多いでしょう。
そんなことはまったくないことを、統計は教えてくれていますが、それを調べるよりも、有名なエコノミストの言葉を信ずるのが楽でしょう。
「成長とは99%の国民の賃金・所得が停滞することである」という経済学者の声よりも、経済成長で給与も上がるという甘言を弄する経済学者のほうに期待してしまうのが、多くの人です。
甘言は耳に優しく、真実は耳に痛いのです。

隠蔽や偽装が広がり、日常化した理由の一つは、責任の所在が曖昧になってきたからです。
隠蔽や偽装は、かつては責任を問うことが可能でした。
しかし、いまはその責任を問うのはきわめて難しくなりました。
組織や制度が、個人の主体性に大きな制約を与えるようになってきているからです。
そのおかげで、責任回避することが簡単になってきているのです。
隠蔽や偽装、さらには隠滅の文化は、さらに広がっていくでしょう。
それが、社会を構成する人間、あるいは人間性を隠滅していくことにならなければいいのですが。

せめて私自身は、偽装には惑わされずに、隠蔽の向こうを見据えながら、隠蔽や偽装とは無縁の生き方をしようと思っています。

ところで、こうした流れをつくった小泉元首相は、最近「脱原発」を叫びだしました。
私には、極めて不快です。

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