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2013/10/06

■節子への挽歌2226:慢性忙しさ病

節子
忙しく生きていると、まわりが見えなくなってきます。
最近の私の生き方は、もしかしたらそうなってきているのかもしれません。

忙しいとは「心を亡くす」と書きます。
必ずしも、時間がないという意味ではないでしょう。
むしろ「何かにこころを奪われて、周りが見えなくなってしまっている」ことが、私にとっての「忙しさ」です。
いささか勝手な解釈ですが、私の場合は、そう考えるととても納得できます。

やるべきことが多くて、10分刻みで動かなければいけない時に、「忙しさ」を感じたことはありません。
その時は、むしろある目標に向かって、心を集中していますから、心を亡くすとは正反対の状況なのです。
時評編で書いたこともありますが、暇の時ほど、むしろ「忙しい」気分に陥りやすいのです。

そういう考えでいえば、最近は、心が何かに集中することがありません。
もしかしたら、最近の充実感のなさは、「慢性忙しさ病」かもしれません。
だから、それを打ち消したくて、「忙しくない」と人に言っているのかもしれません。

この2日間、地元のイベントに便乗して、いろんな人たちに会いました。
今日、来てくださったなかのお2人は、散歩が大好きのようです。
わが家の庭でのサロンが終わった後、おひとりは、近くの手賀沼公園の周りをかなり遠くまで散歩されたそうです。
もうお1人の、初めてお会いした方もよく散歩されているようです。
昔は日本で一番汚れていた手賀沼も。最近はかなりきれいになりました、周辺も整備され、散歩道もできました。
緑もあれば、水もある。
ゆっくりと散歩すれば、いろんな発見もあります。

節子がいた頃は、時々、散歩もしました。
しかし、いまはもうまったく散歩はしていません。
出かける気がしないのです。
心が失われている表れかもしれません。
みんなと話していて、そんなことを感じました。

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