« ■節子への挽歌2236:台風一過 | トップページ | ■節子への挽歌2237:市役所の人がまた3人やってきました »

2013/10/16

■雇用経済的な働き方と生業的な働き方

ある事業に取り組まざるを得なくなり、会社の社長になりました。
ということを何人かの人に伝えたら、こんなメールや手紙が来ました。

「報酬はもらえるのですか?」
「どこかのオフィスに常駐するのですか?」

当然と言えば、当然の質問なのですが、私には思ってもいなかった質問です。
その時点で、私がいかに世間的な発想体系から脱落しているかがよくわかりました。
ちなみに、この2人はいずれも私の生き方を良く知っている20年来の友人です。

社長もまた「雇用される存在」と、みんな思っているわけです。
ここでも「雇用経済」が多くの人の常識を形成しています。

中小企業の経営者と付き合っているとよくわかりますが、社長は報酬をもらう側ではなく、報酬を与える側です。
働いて、さらにお金をつぎ込むというのは、どこかおかしい気もしますが、それはたぶん雇用経済発想に陥っているからです。

私も、これまでコンセプトワークショップという会社の社長をやっていますが、報酬をもらったのは、会社を設立してからの5~6年です。
その頃はまだ、私も雇用経済発想だったので、社長は毎月報酬をもらうのが当然だと思っていたのです。
社長は報酬を与えるほうだと気づいたのは、しばらく経ってからです。
そして会社を持続させるには、報酬を与える発想を捨てることだと考えました。
会社の社長の報酬は、仕事ができることなのです。
会社に利益が出れば、社長がやりたいことを行う活動費に充当すれば良いわけです。
生活費はどうするか。
そこは問題ですが、以前は講演料などでカバーしていました。
いまは年金でカバーしています。

雇用経済発想に陥ると、働くとは「雇用されること」と考えたり、仕事とは対価をもらったりという発想に繋がります。
たしかに雇用経済における雇われ社長は高額の報酬をもらっています。
雇用されない創業者の社長で高額な報酬をもらっている人もいますが、彼らは雇用労働の利得を得ているに過ぎません。
そういう生き方から抜け出たくて、会社を辞めたのです。
できれば、生業的な仕事をしたかったのです。

私の娘の連れ合いが、まさに生業的に、イタリアンのお店をやっています。
驚いたことに、青色申告制度では事業主への報酬という概念がないのです。
彼は、雇用している人よりも実収入は少ないのです。
これは私には大いに示唆に富む話です。
私的には、実に良い働き方をしているわけです。

つまりこういうことです。
世間には、雇用経済的な働き方と生業的な働き方がある。
企業の世界と生業の世界。
そのいずれかの世界にいるかで、たぶんものの考え方が反対なのです。
コストが利益になったり、利益がコストになったりするわけです。
現在の経済には、異質な発想体系が混在しているということに、最近漸く気づきました。

さて、私の今度の社長業は、一体どちらなのでしょうか。
悩ましい問題です。

|

« ■節子への挽歌2236:台風一過 | トップページ | ■節子への挽歌2237:市役所の人がまた3人やってきました »

生き方の話」カテゴリの記事

経済時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/58398382

この記事へのトラックバック一覧です: ■雇用経済的な働き方と生業的な働き方:

« ■節子への挽歌2236:台風一過 | トップページ | ■節子への挽歌2237:市役所の人がまた3人やってきました »