■常識を問い直す5:代議制民主主義における「代表」の意味
世論調査によれば、まもなく成立するといわれている特定秘密保護法に関して、半数を超える人が反対しているそうです。
消費税増税も原発再稼動も、多くの世論調査によれば半数以上の人が反対でした。
しかし、国民を「代表」する議員から構成される国会では、賛成者が過半を占め、法案は成立していきます。
こうした現実を踏まえれば、「代表」とは、いったい誰を(何を)代表しているのかを、考え直す必要があります。
カール・シュミットは「代表制の特徴はまさにこの「民主制」のなかに非民主主義的な要素を導き入れる」と言っています。
ネグリとハートも、「コモンウェルス」のなかで、「代表という行為は、アイデンティティの構築において諸々の特異性を侵蝕し、均質化する」ことを指摘しています。
私が20年前に関わっていたリンカーンクラブでは代議制民主主義は民主主義に非ずという考えが根底にありました。
民主主義と民主制政治とは、私にとっては、似て非なるものです。
代表制という仕組みは、異質な多様性を大数的に束ね、特定の存在に代表性を付与する仕組みです。
新たな「代表」が生み出された途端に、「代表されるもの」と「代表するもの」は切り離され、代表の「生きた」関係は消えてしまいますが、その残存効果が「代表されるもの」の意識に作用するとともに、「代表するもの」が「代表されるもの」に能動的に働きかけ、代表のベクトルが逆転します。
つまり、「代表」という仕組みは、異質なものの連続性を「擬装」する手段ともいえます。
あるいは、多様性を縮減するために均質化を促す手段ともいえます。
それが悪いわけではなく、それは一種の「生きていくための知恵」と言っていいでしょう。
しかし、その仕組みによって選ばれた「代表」は、選んだ人を代表しているのではなく、「代表する権限」を与えられたということです、
お互いに、そこをしっかりと認識しておかないといけません。
したがって、代表する人は、代表される人たちへの説明責任を果たすとともに、その意向を常に把握していかねばなりません。
また代表される人は、代表する人の動きをきちんと把握し、自らの思うところと違う方向の場合は異を唱えていかなければいけません。
現代の代議制には、そのいずれの仕組みもつくられておらず、選挙だけが民意を実効的に発動できる機会なのです。
でもなんとなく、自分たちが選んだ議員なのだから仕方がないという思い込みがちです。
つまり、代表制は代表される側の多様な考えを封じ込める作用があるわけです。
ちなみに、昨今、話題になっている「ガバナンス」という発想は、そうした状況を踏まえての議論ですが、それは両刃の剣でもあります。
その視点で考えると、「代表」もまた違って見えてくるように思います。
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