■節子への挽歌2278:ハンナ・アーレントの愛
節子
先日、「ハンナ・アーレント」の映画を観ました。
ナチのアイヒマン裁判を傍聴したアーレントの記事が大きな騒ぎを起こした話を映画化したものです。
時評編には書いたように、いささか肩すかしの映画でしたが、そこにハイデッガーとアーレントの関係が微妙に埋め込まれていました。
アーレントとハイデッガーは、師弟の関係を超えて、恋愛関係にあったことは有名です。
私にはあまり興味はなく、それと切り離して、アーレントを読んでいましたが、この映画を観て、どうもアーレント理解はハイデッガーとの関係と切り離させないような気がしてきました。
愛は、その人の思想や生き方に深く関わっていることを忘れていました。
この映画にはもう一つ「愛」の話が出てきます。
ユダヤ人の感情を裏切って、アイヒマン裁判を客観的に評価したアーレントに対して、家族のようにアーレントを愛してくれていた友人のユダヤ人から「ユダヤ人を愛していないのか」と問われて、彼女は「一つの民族を愛したことはないわ。私が愛するのは友人よ」と応える場面です。
この発言とハイデッガーとの関係は矛盾して感じますが、アーレントの愛の考え方が伝わってきます。
ハイデッガーとの愛はゾーエの愛、友人に応えた愛はビオスの愛。
そう考えればとても納得できます。
アーレントの処女作は「アウグスティヌスの愛の概念」という博士論文です。
その存在は知っていましたが、まったく興味もなく、読もうなどとは思ってもいませんでした。
この映画を観て、どうもすっきりしないので、なぜか読む気になりました。
書名が示しているように、この本はキリスト教の愛の概念ですから、神への愛がテーマでしょう。
また本書は難解だといわれていますので、私には歯がたたないでしょう。
でも気になった以上は読まないといけません。
それで入手して読み始めました。
ところが最初のページで挫折してしまいました。
愛は本で読むものではありません。
改めてそう思いました。
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コメント
佐藤様
確かに深夜の投稿も多くなりました。 お気遣いをありがとうございます。
昨年から、従業員は24時間眠れないという温泉旅館の管理も仕事の範疇になり
夜警さんやフロントの方たちのことを思うと、寝つけない日が多くなってしまいましたが
幸いに私は、昼間でも2~3時間なら眠ることが出来るようになりました。
体調も慢性のぎっくり腰以外はすこぶる健康体のようです。
10歳も年下の連中が、付いてこれないほどですから
あとひとつ、やらなければならない妻との約束があります。老体に鞭うってでもやりきる覚悟は出来ています。
話が飛んでしまいましたが、「アウグスティヌスの愛の概念」のお話ですが
佐藤様は既に「愛の概念」どころか「真実の愛」を習得されているのではないのでしょうか
私はこのように思っています。
「愛」は誰もが心の奥底に秘めたものではありますが、相手が人であっても、また動物であったとしても
愛する者のどちらかが天に召されたとき、その時に起こる、「後悔」「絶望」「喪失」「愛おしさ」が
愛と言えるのではないのでしょうか
難解と知りながらも「アウグスティヌスの愛の概念」を読破してみたいと願う「佐藤様の思い」こそが
愛の概念のような気がしております。
読んでもいない私が、とやかく言うことは失礼なことですが、正直な思いを書いてしまいました。
佐藤様も、寒い冬を奥様への愛と共に乗り切られることを願っております。
投稿: 山陰太郎 | 2013/11/29 01:42