■節子への挽歌2253:病床の横で読んでいた「マルチチュード」
節子
また冬のような日になりました。
今日はこたつがほしいほどです。
今日は「コモンウェルス」という本を読んでいました。
これは、政治哲学社会のネグリとハートの書いた、新しい民主主義への革命の書「帝国」3部作と言われている本の3冊目の本です。
昨年末に買ったのですが、読めずにいました。
読めなかった理由は、節子と関係があります。
実は3部作の2冊目の「マルチチュード」は、節子の闘病中に読んでいました。
実に刺激的な本で、入院中の節子の病床の横で読んでいたような気がします。
普通の本はどんなに厚い本でも、2~3日もあれば読了するのですが、「マルチチュード」の本は上下2巻でしたが、かなり長い時間かかった気がします。
内容が難解で密度が高かったことも理由ですが、今から思うと、おそらくもう一つ理由がありました。
「現実逃避」です。
普段と同じ状況をつくりたかったのです。
そして、節子にも安心させたかったのです。
だから読んでいても、読んでいないことが多く、何回も同じところを読み直していた気がします。
しかし、節子がいなくなった後、なんで病床の横で本など読んでいたんだろうと悔やみました。
節子はどう思っていたでしょうか。
ちなみに、節子の病床の横で読んでいた本は、「マルチチュード」だけです。
もしそうであれば、「マルチチュード」の読了には数か月かかっています。
それが事実なのか、私の記憶の世界の中でのことなのか、わかりません。
しかし、なぜか「マルチチュード」の本と病床で寝ている節子の姿が、いつも一緒に思い出されてしまうのです。
同じ著者の「コモンウェルス」を読み出すと、そのイメージが浮かんできてしまうのです。
だから読めなかったのです。
この本を久しぶりに手に取りました。
不思議なのですが、なぜかすらすらと読めるのです。
それも節子を常に思い出しながら、です。
ネグリの本が、こんなに読みやすいとは思ってもいないほど、すらすら読めます。
もしかしたら、「マルチチュード」は、私は読んでいなかったのかもしれません。
私の印象では難解でしたが、それは目で文字を追っていただけだったからかもしれません。
「マルチチュード」は、私には特別の本になっています。
節子と重なってしまっている本なのです。
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