■節子への挽歌2267:この世を流れる流れ星
節子
節子も知っている岡紘一郎さんが、また本を書きました。
「稚き面輪はだれに似たるや」という、彼の叔父さんの記録のようです。
今回は、思い切り個人的な話ですが、岡さんのライフワークだったようです。
彼なら、ほかにもいろいろとライフワークのテーマがあるはずですが、これがライフワークだったことを初めて知りました。
昨日受け取ったばかりで、まだ読んでいないのですが、書き出しに心が反応してしまいました。
それを引用させてもらいます。
生命体は、どれをとっても、おなじものが二度とあらわれない、この世を流れる流れ星である。流れ、消えていくわずかな時間でさえも、笑い、悲しみ、怒り、喜び、励み、落胆する生の営みがあり、固有の顔や姿があった。彼らしい文章です。
流星のような人生。太いのか、細いのか。長いのか、短いのか。輝きに違いはあるが、いずれにしも一瞬のできごとにすぎない。
たとえか細くても、短くても、飛翔する自分の姿をだれが見てほしくないだろうか。だれでも心すれば、この世をよこぎる一筋の小さな輝きを脳裏に焼きつけることはできる。
これに関しては、よけいなコメントを書くのを控えたいと思います。
とても心に深く響きました。
岡さんは、会社時代の同期です。
彼とは4年間、滋賀で一緒でした。
節子も知っていますし、岡さんも節子を知っています。
特に仕事を一緒にしたわけではありませんが、私たちは2人とも意識の面で、どこか組織から外れていましたので、心が響いたのかもしれません。
私が会社を辞めた後も、東京に出てきた時などに、湯島にも立ち寄ってくれました。
人の生は、一瞬のできごと。
とても心に響きます。
その一瞬が、いかに豊かなものであるかを、岡さんは知っているのでしょう。
伝記は、私の好みのジャンルではないのですが、読んでみようと思います。
彼が、ライフワークとした意味がわかるでしょう。
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