■節子への挽歌2259:「現実に一人になると生きていけるものですね」
節子
もう一度だけ、山陰太郎さんの話です。
メールにこんな文章がありました。
妻も自分が逝ってしまうことなど考えてもおらなかったと思っています。私の話のような気がしながら読んでしまいました。
その理由は、私が一人では生活など出来ない人間だと言っていましたから
そのことは間違ってはおりませんが、現実に一人になると生きていけるものですね
そして、「現実に一人になると生きていけるものですね」というところにうなずいてしまいました。
ほんとにそうです。
生きていけるのです。
私自身、6年半も生きつづけられるとは、思ってもいませんでした。
生きる気力がなかったからです。
しかし、生きていると生きてしまうのです。
生きることが現実となってくるのです。
山陰太郎さんは、奥様を見送ってから、まだ2年半ほどだそうです。
その頃は実にあやういです。
生きているかどうか、実は自分でもよくわからない。
私の場合はそんな状況でした。
山陰太郎さんは、奥さんからの電話もあって、新しいことを始められました。
私もちょうどその頃、知人の一声で、新しいことを始めました。
その私の体験からいえば、山陰太郎さんもあやうさから抜け出せるでしょう。
それがいいかどうかは、なんともいえませんが。
しかし、実際には、生きていけるのは「一人になっていない」からかもしれません。
愛する人と出会えれば、もう永遠に一人にはならないのです。
山陰太郎さんが生きているのは、間違いなく、奥様の支えのおかげです。
自分に身を置いてみて、そう思います。
にもかかわらず、私も時に思います。
「現実に一人になると生きていけるものだな」と。
そして、
「節子は、そのことを喜んでいるだろうか」と。
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コメント
佐藤さん ご心配なく
節子さんは現在の佐藤さんを観ながら
「あなたも やろうと思えば出来るじゃないの・・」微笑んでおられますよ
わたしもこの二年半で、掃除、洗濯、整理整頓、食事づくりと、妻の見よう見まねでやってきました。
正直、完全とはいきませんが、似たようなことは出来るようになった気がしております。
思うのは、このような家事仕事を46年間も、つまらない夫の為に続けてくれたことに驚きました。
二年半で、割った食器は数え切れず、鍋も三個はダメにしてしまいました。
それでも一番辛かったのは、つい先日から始めた妻の洋服などの整理です。
捨てるもの残すもの、分別をしてはまた考える・・・
なかなか、妻の身の回りの物は捨てられないものですね
お互いに、「節子」という観音様に手を合わせながら、もう少し生きてみませんか・・
投稿: 山陰太郎 | 2013/11/08 20:27