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2013/11/06

■ATMから出てきて、並んでいる人がいたら声をかけますか

今日、ATMでお金を下ろしてきました。
終わって、出てきたら、何人かの人が並んでいました。
それで、当然ながら、私は待っている人に、「お待たせしました」と声をかけました。
その人は軽く会釈してくれました。

私もATMの前で並ぶことがあります。
しかし、残念ながら、前の人から「お待たせしました」とか「お先に」とかいう言葉をかけられることはほとんどありません。
それにとても違和感を持っています。
みなさんはどうでしょうか。

こうした、ちょっとした「声かけ」のことを、文化人類学者のマリノフスキーは「スモールトーク」と名付けました。
そして、そうしたスモールトークの「声かけ」が頻繁に行き交う社会ほど、人のつながりは深く、安定していると報告しています。
これに関しては、以前、挽歌編で書いたことがあります

いまの社会でかけているのは、スモールトークではないかと私は思っていますが、過剰なほどにスモールトークが行き交っている世界もあります。
ネットの世界です。
アップルが普及した理由の一つとして、パソコン操作にスモールトークを持ち込んだことがあげられます。
そして、ネットの世界では、いろんな形でスモールトークが盛んです。
それが若者たちのネット依存症にも無関係ではないでしょう。

とくにフェイスブックでは、「いいね」というスモールトークが重要な役割を果たしています。
私は、「いいね」がとても嫌いです。
私のフェイスブックの記事は長い文章が多いのですが、たぶん読まずに「いいね」をしてしまう人が少なくないのです。
とても違和感があります。
「いいね」は、軽いスモールトークであり、「見ているよ」くらいの意味だとは理解していますが、どうしても過剰な反応は無反応と同じだと石頭的に考えてしまうのです。

ネットではスモールトークが広がっているのに、どうして実際の生の現場でのスモールトークは消えだしているのでしょうか。
そこに大きな不安を感じています。

フェイスブックで「いいね」を押すくらいの軽さで、生で人と触れ合うリアルな世界でも、気楽にスモールトークを増やしていければ、社会はもっと住みやすくなるでしょう。
もし共感してもらえるようであれば、まずはATMからスモールトークをはじめてもらえるとうれしいです。

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