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2013/11/11

■節子への挽歌2262:家族になぐさめられる歳になりました

節子
今日はいろんなことをすべて「横に置いて」、ジュン夫婦と紅葉を見に行きました。
紅葉狩りは、節子がいなくなってから初めてでしょうか。
むかし、家族みんなで行ったことのある茨城の龍神大吊橋です。
これができた時に、節子と娘たちと一緒に行ったのですが、それ以来久しく行っていませんでした。
最近、私がいささか不安定な状況にいるのを見かねて、誘ってくれたのです。

あいにく秋晴とは言えず、雨模様の日になってしまいましたが、ついで近くの花貫渓谷にも足をのばしました。
紅葉は、まだちょっと早かったですが、気分転換にはなりました。

帰宅後、ユカも一緒に、お寿司屋さんに行きました。
そんなわけで、今日は家族になぐさめられる日になりました。

最近つくづく思うのは、なんとまあわがままに生きてきたことかと言うことです。
この歳になって気づくのは、もうどうしようもなく遅いのですが、自分は良いとして、家族には大きな迷惑をかけてきたのだと思い知らされることが多いです。
たまたまつい先日、政治哲学者のネグリとハートの「コモンウェルス」という本を読みましたが、そこに「家族という〈共〉(コモン)は腐敗しやすい」と書かれていました。
ネグリとハートの考えは、私の生き方にとても深く通じていて、共感することが多いのですが、家族が腐りやすい制度だという指摘にはドキッとしました。
私のテーマも「コモンズの共創」で、ネグリたちよりも早く、そういう生き方をしてきていると自負しているのですが、私の家族観には甘えがあったような気がします。
私は、どうも家族に甘えすぎているようです。
おそらく、節子にも甘えすぎて、依存しすぎていたのでしょう。

ほんとは、娘たちになぐさめられるのは、いまに始まったことではないのです。
ずっとなぐさめられてきたのでしょう。
節子にも、ずっとなぐさめられてきたわけです。

そういえば、春にもユカから、同じようなことをしてもらった気がします。
改めて今日、紅葉狩りに誘われて、そのことに気づきました。
人は、まわりからなぐさめられているからこそ、生きつづけられるのかもしれません。
たくさんの人たちからなぐさめられていることに気づかないといけない、と改めて思いなおしました。

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