■常識を問い直す1:社会貢献という発想の傲慢さ
先日、公共性に関して私見を書きましたが、他にも私の理解し難い言葉がたくさんあります。
たとえば、先日の経営者を対象とした公開フォーラムで盛んに使われていた「社会貢献」という言葉です。
この言葉は、使われだしてから30年近く経ちますが、私はまだ馴染めません。
「社会に貢献する」主体の立ち位置が見えないからです。
ましてや、自分で「社会に貢献する」とか「社会のために」などという人に会うと、ついつい、その目線の高さに違和感を持ってしまいます。
貢献しているかどうかは、相手が決めることです。
「私は良いことをしている」などと言う人がいたら、みなさんはどう思いますか。
私は、それは良かったねと言って、そういう人は敬遠します。
私には、そんな不遜な言葉はとても使えません。
それに「社会」って一体何かがよくわからない。
キリスト教を信奉する白人社会のために、アメリカンネイティブズを殺害し、その社会を壊したような歴史は山のようにあります。
そもそも、近代の戦争はほぼすべて「国家」という社会のために行われています。
会社を倒産させないために社員を解雇するのも、「会社」という社会のための活動です。
解雇されたほうはたまったものではありませんし、社会の捉え方を少し広げれば、「社会のため」が「社会を壊す」ことも少なくないのです。
社会を、自分もそのメンバーの一人である「人のつながり」であると私は考えていますので、自らの活動が、そのつながりをより良いものにするように、常に考えています。
それは「貢献」ではなく、その「社会」を構成しているものとして、当然のことですから。
そして、そのことが、自らの生きやすさや豊かさに繋がってくることを知っているからです。
「社会貢献」という言葉が、こんなに使われる時代には、大きな違和感を持ちます。
企業であれば、「社会貢献活動」などといわずに、「社会活動」でいいでしょう。
そして、その「社会活動」の内容が、その企業が「社会」をどう捉えているかを示唆しているはずです。
ちなみに、CSR(コーポレート・ソーシャル・レスポンシビリティ)には、いうまでもなく「貢献」などという発想は含まれていません。
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コメント
佐藤さん 大変腑に落ちる記事です 社会活動という言葉でいいですね。
投稿: 我孫子の音楽ソムリエ | 2013/11/19 11:45
音楽ソムリエさん
ありがとうございます。
これから何回かシリーズで書きますが、腑に落ちたり落ちなかったりすると思いますが、よろしく。
なかなかお会いできませんね。
投稿: 佐藤修 | 2013/11/19 15:32
呼んでいただければ いつでも 馳せ参じます
投稿: 我孫子の音楽ソムリエ | 2013/11/22 18:56