■映画『ハンナ・アーレント』を観ました
岩波ホールで上映している映画『ハンナ・アーレント』を観ました。
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/日本でも人気のある政治思想家ハンナ・アーレントを題材にした映画です。
満席でした。ホールの人に聞いたら、連日、満席だそうです。
若い人もいましたが、多くは私と同世代の、しかも女性たちでした。
この作品は、私の周辺でも話題になっていますので、少なからず期待していました。
結果は完全な「肩透かし」でした。
もちろん駄作などとは言いませんし、感動しなかったとも言いません。
終わった時に、え!これで終わりはないだろうと思ったのです。
つまり、メッセージが感じられない映画でした。
話は、アーレントがアイヒマン裁判傍聴記を発表した頃に焦点を当てています。
アーレントの記事が、ユダヤ人の反感を買い、彼女は2回目の生活破壊に直面します。
しかし、それに屈することなく、彼女は最後の講義をします。
この講義は迫力があります。
アーレント役のバルバラ・スコヴァの熱演がすばらしい。
涙が出ました。
しかし、その講義を聴いたユダヤ人の友人は、アーレントに共感せずに、去っていきます。
そこで、映画は終わってしまいます。
問題は、そこからだろうと、私は思うのですが。
もっともアーレント自身、実はそこから先にあまり行けていなかったのかもしれません。
私自身の不勉強のせいかもしれませんが、どうもアーレント自身の思索そのものも、知れば知るほどに、「肩すかし」を感じるようになっています。
それはアーレント自身の「思考」に関する論考を私が学んでいないからかもしれません。
この映画では、アーレントに「思考の精神」を与えたハイデッガーが登場します。
ハイデッガーにまつわる2つのエピソードは、私にはノイズに感じ、ますますハイデッガー嫌いになりましたが、もしかしたらこの2つの挿話は深い意味を持っているのかもしれません。
そこまで読み取れなかったために、私は「肩すかし」をくらったのかもしれません。
映画の最後は文字で「根源的な悪」がアーレントのテーマだったと映像に出てきます。
映画の途中で、アーレントは「正義」という言葉も口にしますが、正義と根源的な悪は私には通底する概念ですが、そのあたりをもっと掘り下げてほしかったです。
というような意味では、アーレントの思想はこの映画からはほとんど伝わってきません。
むしろ反ユダヤ的な感じ(アーレントが反ユダヤ的という意味ではなく、映画の意図が反ユダヤ的という意味です)が残ってしまう映画でした。
それはアーレントの意図ではないだろうに、と私は思います。
アーレントは家族のようにしていた友人から、「ユダヤ人を愛していないのか」と問われて、彼女は「一つの民族を愛したことはないわ。私が愛するのは友人よ」と応えます。
この言葉には感動しましたが、映画でのその後のアーレントの行動は、さらに友人を裏切ってしまうのです。
映画のシナリオや構成としては、いかがなものかと思います。
アーレントにとって「愛」とは何か。
それもまた、この映画のテーマの一つかもしれません。
ただこの映画からは、思わせぶりなシーンやセリフはあっても、明確なメッセージは伝わってきません。
アーレントの処女作である「アウグスチヌスにおける愛の概念」を読んでみようと思います。
たぶんまったく面白くはないでしょう。
なぜなら、それを書いたのは、アーレントがまだ1回目の生活破綻、つまり強制収容所を体験していない時だからです。
アーレントは、最初の生活破壊で、思考を実践したのだろうと私は思っています。
これからアーレントの名前を聞くと必ずバルバラ・スコヴァのアーレントが出てきて、私の思考を邪魔するでしょう。
困ったものです。
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