« ■節子への挽歌2260:歩くことの治癒力 | トップページ | ■節子への挽歌2262:家族になぐさめられる歳になりました »

2013/11/10

■節子への挽歌2261:毒素

節子
昨日、紹介した鈴木さんの手紙によると、「ロング・マルシュ」を読んだこともあって、近くの井の頭公園を久しぶりに歩いてきたそうです。
鈴木さんの手紙からの引用です。

 池が見えるベンチでボーっとしていると体から毒素が少し抜けたような気がします。

我が家の近くにも手賀沼公園という小さな公園があります。
池が見えるベンチもあります。
節子が闘病中は、早朝に良く2人で散歩に行きました。
しかし、節子がいなくなってからは一人で散歩にいったことはありません。
どうしても足が向きません。

鈴木さんではありませんが、私も最近は毒素が心身に充満しています。
最近は、毒素で成り立っているのではないかと思うほど、毒素を感じます。
それで自己嫌悪に陥ってしまうと、なぜかさらに毒気が集まってきます。
気分を変えて、かなり流れは変わりましたが、心身の毒素はなかなか出て行ってくれません。
私もベンチでボーっとしてみないといけません。
手賀沼の湖畔からは、運がよければ、遠くに富士山が見えることもあります。
さらに運がよければ、毒素が浄化されるかもしれません
しかし、今日はあいにく寒くて出かける気にはなりません。

昨日は湯島で、箸ピーサロンを開催しました、
湯島のサロンは、いずれもとてもカジュアルなのですが、私の紹介の仕方が悪いのか、敷居が高いと思っている人もいます。
でも一度来てくれると、そんなことはないと実感してくれるはずですが。
しかし、まあ、そんなわけで、箸ピーサロンなら敷居も低いだろうと、やってきてくれる人もいます。
昨日は、初対面の人も5人も来てくれました。
箸ピーゲームを楽しめば毒素が抜けるはずなのですが、逆に毒素のおかげ、昨日の私の成績は散々でした。
心身の調子はちゃんと成果に出るものです。

さてどうもこのままだとせっかく流れを変えたのに、また反転しそうです。
明日は予定を変えて、娘夫婦と一緒に紅葉でも見に行こうかと思います。
紅葉狩りは、節子がいなくなって、はじめてのことです。

|

« ■節子への挽歌2260:歩くことの治癒力 | トップページ | ■節子への挽歌2262:家族になぐさめられる歳になりました »

妻への挽歌12」カテゴリの記事

コメント

おはようございます

佐藤様 どの記事も節子さんへの思いが伝わってきます。
それも 佐藤さんらしい妻への愛おしさが込められているようで、読む者にも心洗われる気がします。

男がやむなく一人になった時、襲われるのは後悔と喪失の無念の気持ちです。
そして、それぞれの人生もそれぞれですが、我々の年代に残る思い出には、「公園」が入り込んでいるのですね

私も妻と出逢った頃は、大阪市内の靭公園(うつぽこうえん)から、恋愛時代には、中之島公園や大阪城公園に
強い思い出が残っています。

しかし、私の場合は皆さんとは違った理由もあります。
貧乏青年だった私は、一番お金のかからないデート場所だったからです。

ここでは県内全体が公園のような場所であり、やはり妻とは公園によく行きました。
一番のお気に入りは、車で20分の距離にある東郷湖畔のあやめ池公園に愛犬と三人で毎週のように行きました。

なのに私の毒素は抜けたのでしょうが、妻の毒素は抜けなかったのですね
最後に妻と愛犬と三人で「あやめ池公園」に行ったのは、妻が入院する一か月前でした。

悲しかったのは、妻の死後107日目に愛犬までが妻の後を追うように亡くなった時です。
仏壇の前で一日中過ごすようになった愛犬の思いは、分かってやれなかったのかもしれません
ある意味、妻の死よりも純粋な悲しみと無念は大きなものでした。

妻の死と愛犬の死、「なぜ、みんな俺を捨てて何処かへ行ってしまうんだ!」 激しい喪失感に襲われたとき
瞬間ですが、人間が全てを捨てて死を覚悟する時の気持ちが理解できたような気がしております。

わたしも今日、あやめ池公園に行ってみます。


投稿: 山陰太郎 | 2013/11/11 07:56

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌2261:毒素:

« ■節子への挽歌2260:歩くことの治癒力 | トップページ | ■節子への挽歌2262:家族になぐさめられる歳になりました »