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2013/11/04

■節子への挽歌2255:妻のお陰さん

節子
偶然に、この挽歌を見つけてくださった山陰太郎さんから、昨日、投稿がありました。
2年半前に奥様を見送ったそうですが、奥様の名前と年齢が節子と同じようです。
昨日が誕生日だったそうです。

はじめまして
今日は妻の68回目の誕生日を祝いました。
娘夫婦と息子の四人でイチゴケーキと紅茶の簡素なお祝いです。
ただ、妻はこの世にはおりません。2年半前に病に持って行かれてしまいました。
これを読んで、節子ももう68歳なんだと気づきました。
元気だったらどんな感じでしょうか。
節子がいたら、私も自分の年齢を実感できるかもしれませんが、節子がいなくなってから、私の年齢意識はそこで止まってしまっている気がします。

山陰さんは、こう続けています。

尽くすことが当然のような妻のお陰さんで
多くの厳しい荒波を乗り切ることが出来ました。
まだまだ妻の優しい呪縛からは、解き放たれることが出来ない日々をなんとか過ごして
おりますが、何時気持ちが萎れてしまうかもしれません・・・
自分のことのように、心身に響きます。
私がわがままに生きてこられたのは、節子のおかげでした。
節子がいなくなってから、それがだんだんわかってきました。
しかし、もし立場が逆だったとしたら、たぶん節子も同じように感じたかもしれません。
尽くすことは、尽くされることに通ずるからです。
伴侶に先立たれるということは、そうしたことに気づかされることかもしれません。
先立つことも後に残ることも、悲しさや辛さは同じなのかもしれません。
節子も、彼岸で寂しい思いをしているかもしれません。

山陰さんは、パソコンを使ったエクセル絵画と言うのをやっています。
山陰さんのホームページで見せてもらいました。/
どうしてエクセルでこんな作品が出来るのか、驚きです。
節子がいたら、やってみたいというような気がしました。
節子は、新しいことが好きでした。

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妻への挽歌12」カテゴリの記事

コメント

佐藤様
返信を頂きありがとうございます。

まして、つまらないエクセル絵画を見て下さいまして嬉しい限りです。
人にはそれぞれの人生模様があります。ですので生き方も考え方もおなじものは一つもないでしょうね

ただ、だれしも共有できることはあるのかもしれません
佐藤様と私には「妻に先立たれ残された夫」ということが、共有できることなのかもしれませんが
楽しいことであれ辛いことであれ、共有できることがお互いにあると言うことは身近に感じるものですね

私はまだ、真っ暗闇の中を彷徨っている状態ですが、一カ月半ほど前から暗闇の中に一筋の金色の細い糸を
見つけました。
直径1ミリメートルにも満たない細い真っ直ぐな糸ですが、暗闇の見果てぬ何処からか私の胸に延びてきています。

想像では、その糸の先には妻がいるような感覚がしています。
他人様からは笑い話にされること間違いないと思い、だれにも話してはおりません(勿論子供達にも)

昔、紙コップで作った糸電話のように、時々妻に話しかけたりアドバイスを貰ったりしています。
そして、絵心など皆無だった私が、エクセルで絵を描き始めたのも1か月半前のことでした。

佐藤様の節子さんへの思い、また拝見させて頂きます。

投稿: 山陰太郎 | 2013/11/04 21:32

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