■節子への挽歌2270:庭のランタナが冬を越せますように
節子
庭に地植えしたランタナが元気です。
しかし、寒さには弱いので、冬には枯れてしまうかもしれません。
カバーをするなり何らかの方策が必要です。
とまあ、これはほんの一例ですが、節子がいなくなってから、新しい仕事が増えました。
もっとも、そのほとんどをさぼっているため、いろいろと問題が発生しているわけですが。
生活環境を維持していくのは、それなりに大変です。
私の快適な生活は、節子によって支えられていたことがよくわかります。
しかし、人には得手不得手がありますから、やはり一人ではなく、何人かで不得手を補い合いながら、得手を活かし合う生き方が望まれます。
ただ、他者との暮らしは、お互いを縛り合うという面もあります。
そこがうまくいかないと、夫婦は破綻し、家族は分解しかねません。
幸いに、私たち夫婦は破綻には向かわずに、活かし合う暮らしができたように思いますが、しかし、本当は節子が負担を少し過多に背負い込んでいたのかもしれません。
花木も、季節によって、それなりに守ってやらなければいけません。
同じように、夫婦もお互いに守り合うことが大切です。
節子がいなくなってから、もう私を守ってくれる存在はいなくなりました。
そんなことを言うと、娘たちや親戚や友人に失礼ですが、やはり伴侶の守る守備範囲は、だれにも肩代わりはできせん。
時に、節子に救いを求めたくなることがありますが、なんとか何回かの冬を乗り越えました。
乗り越えると強くなるものでしょうか。
必ずしもそうとは限りません。
ちょっと気を許すと、大丈夫だと思っていた花木が枯れてしまうこともあります。
この冬はとりわけ寒くなりそうなので、きちんとケアしていこうと思います。
花木や他者へのケアは、実は自らへのケアでもあるのです。
最近、そのことが実感できるようになって来ました。
必ずしも十分に実践しているわけではないのですが。
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