■国家の再登場ー権威や権力になぜ依存したがるのか
■権威や権力になぜ依存したがるのか(2013年11月3日)
「ナショナリズムの復権」の著者、先崎彰容さんはこう書いています。
震災以前、多くの人は、原則的に戦後という舞台を動きまわり戦後的価値観とでも呼ぶべきものを肯定していたのではなかったか。にもかかわらず、震災と原発事故が起こるや否や、一転して自分の所属していた空間を忘れ去り、今度は戦後そのものを批判し、国家に問題解決を行うべきだと迫り、国家の再登場を促しているのではないか。とりわけ原発事故への対応に関しては、東電では対応できない、国家が中心になって解決に取り組むべきだという声が強くなっています。
私もそういう意見に傾いていましたが、この文章を読んで、ハッとしました。
私もまた、無責任な時流迎合主義者だったわけです。
国家の再登場の誘いに、あまりに無防備でした。
福島に皇太子夫妻が行かれました。
夫妻に会った人たちは間違いなく感動したでしょう。
テレビでそうした映像を見るたびに、いつも不思議な感覚に襲われます。
そして、もし私が被災してそこにいたらどうだろうか、と考えます。
やはり感激して、すべてを水に流すでしょうか。
そうならない自信はありません。
水俣を訪問した天皇夫妻に、石牟礼道子さんも感激したそうです。
複雑な気持ちで、その報道を聞きました。
園遊会で天皇に手紙を渡した山本太郎議員が話題になっています。
どうも評判がよくないようです。
私も彼の行動は支持しませんが、どうでもいい瑣末な話のように思います。
ただ、残念なのは、彼もまた、国家や権威、権力に依存する人だったと知ったことです。
彼には、新しい人間像を期待していましたので、がっかりしてしまいました。
天皇に何を期待していたのか。
お上依存では、新しい社会はつくれません。
せいぜいが、サブシステムでしかありません。
いまネグリの「コモンウェルス」を読んでいます。
ネグリのマルチチュード発想は、上下構造を前提としたものではなく、多彩な活動の横の連携からこそ、新しい動きが起こるとしています。
彼らは、新しいパラダイムにもとづく「別の近代性」という言葉を使っていますが、それに関して、こう書いています。
私たちは「別の近代性」という語を、近代性とそれを規定する権力関係からの決定的な切断を指し示すために用いている。というのも、私たちが考える別の近代性は、反近代性の伝統から出てくるものであると同時に、対立と抵抗を超えた拡がりをもつという点で、反近代性の通常の経路からはずれるものでもあるからだ。新しい風は、お上に依存している人たちからは生まれません。
山本さんには、ネグリをきちんと読んでほしいものです。
時代の大きな動きをしらなければ、新しい価値は生み出せません。
知っているだけでも、生み出せませんが。
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