■節子への挽歌2271:畑でのひと休み
節子
今日は雲ひとつない秋晴です。
午前中に時間が出来たので、畑に行ってきました。
先日、斎藤さんと桜井さんがわざわざやってきてくれて刈ってくださった草が山になっています。
燃すわけにはいかないので、土に穴を掘って埋めることにしました。
ところが、この畑はもともと農地ではない山林だったので、いろんな植物の根が張っていて、なかなか掘れません。
それに一人でやっていると、私の場合、すぐに飽きてしまうのです。
また軽い立ちくらみを感じたので、埋めることは諦め、ゴミで出すことにしてしまいました。
燃やしたらとても良い肥料になるはずですが、残念です。
途中、畑の真ん中に腰をおろして、ひと休みしました。
久しぶりにいい汗をかいた感じです。
地面に腰をおろすと、作業している時とは違った風景が目に入ってきます。
バッタが寒そうに、草の陰に隠れていました。
なぜか季節はずれのモンシロチョウが飛んでいました。
ただ、トンボはまったく見当たりません。
もう季節が終わったのかもしれませんが、今年はトンボが少なかったように思います。
わが家の周辺の自然もこの数年で大きく変わってきています。
10年前には庭の池にゲンゴロウが飛んできたりしていましたが、いまは何も来ません。
私にとって、周辺の風景が変わってきているのは、節子がいなくなったからだけではないようです。
自然そのものも変わってきているのでしょう。
節子が元気だった頃は、私自身も自然と触れ合う時間も多かったですが、最近はあまりありません。
畑に行っても、作業をするだけで、畑との交流はありません。
それでは畑をやる意味がないと節子に言われそうです。
もう少しきちんと生きなければいけないと、ふと思いました。
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コメント
佐藤様 おはようございます
若い頃、怖いものなしで突っ走ってきた時代、私は妻のことなど気にもせず
やりたい放題の好き勝手な人生を、妻や家族に強いてきました。
公務員に推挙してくれた叔父を裏切り、大都会へ大きな夢を抱き飛び込んだあのころ
バックアップしてくれたのは、妻だけだったように思います。
しかし、その妻をも翻弄させ波乱の大海原に引き込んでしまい、苦労を絵に書いたような人生を送らせてしまいました。
それ故に、今もう一度あのころの力が蘇えってほしい思いがいっぱいです。
66歳になった老人の最後の力を振り絞り、この激動の世に打って出ようと決心しました。
一部を除いて周りの知人は、「バカなことを考えるな」と叱咤はしてくれますが、皆が離れていってしまいます。
こちらの庭も荒れ放題になってはいますが、妻が亡くなってから「白ユリ」の花が咲くようになりました。
白ユリなど咲いたことはない庭ですが、今も1輪咲いています。
一般的には不思議な出来事ですが、白ユリは妻の大好きな花でした。
わたしには不思議な出来事ではないように感じております。
これから、長年にわたり私たちの暮らしを支えてくれた、「建築デザイン」の仕事に再度挑戦するつもりです。
もう少し、佐藤様と距離が近ければ、お会いして語り合ってみたいですね
投稿: 山陰太郎 | 2013/11/21 11:39