■節子への挽歌2263:愛は〈共〉を構成するカ能
節子
少し小難しいことを書きます。
昨日も書きましたが、「コモンウェルス」と言う本を読みました。
とても示唆に富む本でした。
ところで、私が25年間勤務した会社を辞めて、コンセプトワークショップという会社を節子と一緒に創設して、活動を始めた時に、ぼんやりと考えていたビジョンがあります。
そのビジョンは、次第に見えてきましたが、それは会社の名前につながっています。
「コンセプトワークショップ」を略して、私たちはCWSと読んでいました。
そして、CWSは、もう一つの言葉の略称でもありました。
それが、「コモンウェルス・ソサイティ」です。
ネグリとハートの3冊目の書名が、まさか「コモンウェルス」になるとは思ってもいませんでしたが、ある意味では当然の結果だという思いもあります。
少しうれしい気がしますが、節子とその嬉しさを分かち合えないのが残念です。
その「コモンウェルス」という本の最後は、「愛」というキーワードに収斂しています。
彼らの次の作品では、「愛」が前面に出てくるだろうと思います。
それもまた当然の結果ですから。
ところで、同書に「愛は〈共〉を構成するカ能でもある」という文章が出てきます。
そしてさらに、いささか難しい表現が続いています。
愛の構成的なカ能と愛による〈共〉の創造は、存在の生産、現実性の生産に含まれている、存在論的なカと呼ぶことのできるものを示唆している。
本書を読んでいない人にとっては、いささかわかりにくい表現でしょうが、なんとなく意味は伝わるのではないかと思います。
私には、節子と一緒に生きてきた40年のすべてが、この言葉で納得できるような気がします。
節子の病が発見されてから、私はなぜかネグリに出会い、それにはまってしまいました。
そして、節子を見送って6年経たいま、この文章に出会いました。
いまは、この言葉の意味がとてもよくわかるような気がします。
「愛は〈共〉を構成するカ能」。
私のテーマである「コモンズの共創」には、不可欠な要素です。
愛を呼び戻さなければいけません。
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