■節子への挽歌2264:ふだんのくらしをしあわせに
節子
先日、「福祉」教育を話題にしたサロンを開きました。
それに関しては時評編に少しだけ紹介しました。
フェイスブックにも書いたのですが、ある人が「福祉」とは「ふだんのくらしをしあわせにすること」だと書いてきてくれました。
「ふだん」「くらし」「しあわせ」の頭文字をつなげると「ふくし」になります。
なるほどと納得しました。
これを書いてくれたのは、坂戸の須田さんです。
覚えてくるかどうかはわかりませんが、須田さんには節子も一度だけ会っています。
それは、節子が参加していたコーラスグループの発表会でした。
節子は、かなり病状が悪くなっていましたので、歌うのは無理でしたが、発表会にはぜひ行きたいというので、2人で出かけました。
それが、節子が外出した最後かもしれません。
須田さんは坂戸でコーラスグループに入っていましたが、その先生が、節子たちのグループと同じ人だったのです。
その関係で、坂戸からわざわざ我孫子まで須田さんは聴きに来てくれたのです。
節子と会ったのは、それが最初で最後でした。
節子は、その発表会ではたくさんの人たちに会いましたので、須田さんのことは覚えていないかもしれません
その須田さんが「福祉」とは「ふだんのくらしをしあわせにすること」と教えてくれたのです。
須田さんは、それを実践している人です。
私たちの「ふだんのくらし」は「しあわせ」だったでしょうか。
私は少なくとも「しあわせ」でしたが、節子はどうだったでしょうか。
私にとっての幸せの源泉は「節子」でしたから、節子がいない今は、幸せとは言えないかもしれません。
でもまあ、いまのふだんのくらしも、いろいろとありますが、幸せというべきでしょう。
人生は、不幸の中にも必ずどこかに何がしかの幸せはあるものですから。
今日、新たにジョイワークスという会社を創った人たちが湯島に来てくれました。
働く喜びを取り戻したいという思いからの起業です。
一人はロゴセラピーを勉強していた友人です。
フランクルを読んで、生き方を変えたと言います。
私のところに報告に来てくれたのが、とてもうれしいです。
「幸せ」とはなにか。
最近思うのは、人は人であることで、すでに幸せなのだということです。
ふだんの暮らしをおくれることが、幸せだということです。
節子がいない幸せもあるのだと思わなければいけません。
今日はこれから「支え合い共創サロン」です。
ふだんのくらしが幸せになるような、仕組みを考える第1回目です。
どういう話になるでしょうか。
節子がいないのが、とても残念です。
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