■常識を問い直す4:知的所有権には納得できません
知的所有権という概念があります。
平たく言えば、表現、アイデア、技術などに関する独占使用権です。
物質に対する所有権は、他者が同時に使用することが難しいので、排他性を持っていますが、アイデアや表現は複数の人が同時に使うことが可能です。
ですから、それに排他性を与えるには制度が必要になります。
特許や著作権、商標権などがその代表です。
以前の中国は、そうしたことを無視して、勝手に類似品を作ってしまうと評判がよくありませんでした。
知的所有権を理解できない私には、何が問題なのかよくわかりませんでした。
しかし、知的所有権という概念は「常識」であって、中国のやり方は非常識な許されない行為なのでしょう。
知的所有権は、歴史的にも、古代からずっと守られてきたようですから、私の常識がおかしいのかもしれません。
しかし、私にはこの概念がどうしても納得できないのです。
知はみんなのものだろうと思うからです。
知の発見者も、できるだけ多くの人に使ってほしいのではないかと思ったりします。
それでこそ、知が活かされるはずだからです。
これは私だけの考えではありません。
アメリカの法学者ヨハイ・ペンクラーは、「われわれが開かれたコモンズとして統御するもっとも重要なリソース(それ抜きには人間という存在を考えることができないもの)は、20世紀より前のすべての知識と文化、20世紀前半の科学的知識の大部分、そして現代の科学と学術研究の大部分である」と書いているそうです。
知的所有権を財産権として認めなければ、新しい技術や作品を生み出すモチベーションが高まらないと、よく言われます。
そうでしょうか。
開発者や創造者は、お金のために取り組んでいるのでしょうか。
お金のためを考えているのは、そうした人たちを使って、利益をあげようとしている人たちなのではないでしょうか。
つまり、知的所有権制度で利益を上げているのは、創作者というよりも、それを独占して、利益を貪る人たちです。
知的成果が独占されるとどうなるか。
以前問題になりましたが、アフリカでの子ども死亡率が高まるようなことが起こるのです。
せっかく、問題を解決する方法があるのに、知的所有権の壁の前で、使えないことが少なくないのです。
ネグリとハートの「コモンウェルス」にはこう書かれています。
情報経済と知識生産の領域では、〈共〉の自由が生産に不可欠であるのは明らかだ。ネットワーク環境での〈共〉へのアクセスは、創造性と成長に欠かせない重要なものである。知的所有権による知識やコードの私有化は〈共〉の自由を破壊し、生産や革新を妨げる。つまり、知的所有権の制度は、知的創造活動にとっては邪魔な存在だと言うのです。
全く同感です。
最近、産業界ではイノベーションという言葉がまた使われだしていますが、その一方で、技術や知識の囲い込みが進んでいます。
大企業の技術者たちの開かれたプラットフォームを作りたいと思って試みたこともありますが、技術者自体が閉じられた会社装置から出られずにいます。
それではイノベーションなど起こるはずもないでしょう。
イノベーションは、異質な出会いからしか生まれません。
このシリーズを書く気になった「公と共」にも繋がる話なのですが、ネグリたちは、「公」は「共へのアクセスを規制する存在」であると言い切っています。
本来、知識や文化は「共」の世界の財産なのです。
それを独占しようとするのが、近代経済の基本、つまり「市場化」です。
市場化するためには、所有者を特定し、金銭尺度の価値づけをしなくてはいけないのです。
それが、知的所有権制度だろうと思います。
だから私は、知的所有権が納得できません。
知的成果は人類すべてに還元されるべきです。
つまり知的財産は、人類すべてのものなのです。
それはそうでしょう。
知的財産は、個人が創りだしたわけではなく、これまでの人類の歴史の中で培われた、知の集積の上に実現しているのです。
もちろん、知的所有権制度をなくしたら、いろいろと不都合が起こるかもしれません。
でも中国で商標権もないのに、ミッキーマウスが模造されて、誰が困るのでしょうか。
偽ブランド品が横行して、何か不都合があるでしょうか。
幸いに、私には全く不都合がありません。
商標権を持っている会社や人は、利益が損なわれるかもしれません。
でも汗もかかずに、商標権だけで利益をあげることが、ほんとうに幸せなのでしょうか。
最近は何かと「資格」とか「検定」とか言って、知的所有権で不労所得を得ている人が増えていますが、そういう風潮に私は大きな危惧を感じています。
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コメント
今から約20年ほど前のことですが、“「創造性」「オリジナリティ」が大事だ”と私の周りで盛んに言われるようになった時、私はその意味が良く理解できないので、ノーベル賞受賞者の某物理学者に話を聞きに行きました。その時の彼の“そんなもの爪の垢ほどもありませんよ。物事を考える時に言葉や数式は使いませんか?言葉や数式は自分が作り出したものですか。「創造性」「オリジナリティ」と言われているものは、先人の遺産の上にほんの爪の垢にも満たない程度の新しいものを付け加えただけのものです。”との返事が、とても新鮮で腑に落ちたのを思い出しました。
投稿: 太田篤 | 2013/11/25 16:32
太田さん
ありがとうございます。
とても共感できるお話です。
みんながもっと知恵を共有し、一緒になってその知恵を育てていけるといいと、いつも思っています。
投稿: 佐藤修 | 2013/11/28 11:12