■常識を問い直す2:ワークライフバランス
「ワークライフバランス」も違和感のある言葉です。
ワークとライフは同じ次元の言葉ではなく、むしろ「ライフ」から「ワーク」を切り取って、分割してしまったところに、大きな問題があります。
これまでの経済学では、たしかに「労働時間」と「余暇時間」、あるいは「労働時間」と「生活時間」は対比して捉えられていました。
しかし、そういう捉え方は、昨今の経済状況の中ではあまり有効ではありません。
工場での9時~5時労働という働き方は、いまでは決して大勢ではないでしょう、
ワークは、いまや工場からも会社からも飛び出してしまったのです。
ワークとライフは、いまや分割しにくくなっています。
それをネグリとハートは「生政治的労働」と呼んでいます。
私にとって、ライフの中で仕事はとても大きな意味を持っています。
仕事をどう捉えるかによって意味合いが変わってきますが、ディーセントワークという言葉(働きがいのある仕事)が広がりだしているように、昨今では仕事の質が問われだしています。
モンテーニュは、自らの体験から、「仕事なしには、人間は心安らかに日日を送ることはできない」と書いているそうです。
みなさんの周りにも、仕事を引退して、一気に老け込んだ人がいるでしょう。
つまり、仕事は生活の核になっているのです。
クリエーティブなワークをしている人たちは、ワークそのものがライフかもしれませんし。ライフそのものがワークかもしれません。
そして、そうした人が増えていくでしょう。
ライフとワークはバランスをとるようなものではないのです。
それぞれがお互いに支持的に関わりあう概念なのです。
大切なのは、量的バランスではなく、ワークの中身です。
あるいは、「働き方」ではないかと思います。
ワークは嫌なもので、時間が短いほどいいという捉え方があるとしたら、その常識を破らないといけません。
時間を忘れるほど楽しいワークもあるのです。
そして、楽しいワークであればあるほど、ライフは生き生きしてくるのです。
ワークが楽しくなければ、どこかに間違いがあるのです。
そうは言っても、食べていくためには楽しくないワークもしなければいけないと言われるかもしれません。
それを否定するつもりはありませんが、そういう状況が日常化してしまえば、生きることの意味が問われることになりかねません。
これに関しては別途書きたいと思いますが、ここにこそ、問題の本質があるように思います。
ワークライフバランスという言葉が前提にしている状況にこそ、目を向けなければいけません。
あるいは、ワークライフバランスという言葉が、意図している企てに気づかなければいけません。
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