■常識を問い直す7:経済成長は生活を豊かにはしない
経済成長と生活の豊かさはどうつながるでしょうか。
多くの人は比例関係にあると考えているように思います。
しかし、そうでしょうか。
たしかに、ある状況においては、それは比例関係にあります。
昭和20年代から50年代にかけての日本はそうだった人が多かったでしょう。
しかし、それがずっと続くとは限りません。
経済成長の恩恵を受ける人もいれば、経済成長の犠牲になる人もいます。
そのどちらに身を置いて考えるかで、関係は大きく変わってきます。
基本的に「経済」は「富の移転」です。
自然から人間へ、あるいはある人からある人へ、という資源配分の組み替えです。
時に、双方向の移転隣、新しい価値が創出されることもありますが、それでも視野を広げて考えれば「移転」でしかないでしょう。
その移転によって、豊かさを得る人もいれば、貧しくなる人もいる。
さらに、その活動によっても、豊かになる人も貧しくなる人もいます。
それも、そうしたことを考える基準(金銭はそのひとつですが、一番大きなのは個人の価値観)によって、豊かさや貧しさは変わってきます。
そこに問題の難しさがあります。
経済成長の基本は、「市場化」によって、金銭が媒介する分野が拡大することです。
それが難しくなると、いわゆる「ゼロサムゲーム」になり、格差の拡大が経済成長を支えることになります。
世界経済は、アフリカという最後のフロンティアを市場化すればもう成長はないと、エコノミストは言っています。
日本では「民営化」「や「社会化」ということばで、市場化が進められていますが、それで私たちの生活が豊かになったとは思えません。
経済には2種類あります。
資本の視座を置く経済と生活に視座を置く経済です。
経済は「経世済民」という言葉から生まれていますが、「経世」に重点を置くか、「済民」に重点を置くかで変わってきます。
サブシステンス経済という考え方は、生活に視座を置いていますし、エコノミーの語源である、古代ギリシアのオイコノミスも生活視点です。
しかし、昨今の経済成長を支える経済は、生活の視点はありません。
成長を支えるのは、ある意味での収奪です。
一時期、よく言われた「勝ち組み・負け組み」という言葉が、それを象徴しています。
そこに気づけば、安直に経済成長を歓迎は出来ません。
私が望むのは、経済成長ではなく、平安な生活です。
みなさんはどちらでしょうか。
もっとも、経済成長と縁を切るのは、それなりに勇気がいります。
私は、それを決意して25年経ちますが、今も未練が断ち切れていません。
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