■節子への挽歌2269:節子、いろんな人に合いましたね
節子
市川覚峯さんが久しぶりに湯島に来ました。
相変わらずの調子で、活躍しています。
市川さんは、3年間、山で修業してきた人です。
比叡山、高野山、そして吉野の大峰山。
それも半端ではない荒行もこなしてきた人です。
それにもかかわらず、実に軽いところがあります。
それが良いかどうかは、微妙なところです。
高野山の断食行の最後の日に、節子と一緒に僧坊を訪ねたことを時々思い出します。
翌朝、まだ真っ暗な時間にお堂で護摩を焚いてくれました。
あの時の市川さんは、透き通っていました。
あの時ばかりは、節子も市川さんを見直したことでしょう。
節子が亡くなった日、市川さんは奥さんと一緒にわが家にとんできてくれました。
誰が教えてくれたのでしょうか。
今から考えると不思議です。
そして、節子に枕経をあげてくれました。
以来、市川さんの頼みは絶対に断らないようにしています。
節子と高野山に行ってから、もう15年以上経ちます。
あの頃、小学生だった市川さんの息子さんも、今や立派になり、僧籍までとりました。
思えば、節子と一緒だった頃、実にさまざまな人たちとの出会いがありました。
節子にも、たぶん刺激的な出会いも少なくなかったはずです。
もう付き合いがなくなった人も少なくありませんが、節子と一緒に付き合っていた人に会うと、その時に戻るような気がします。
とりわけ湯島で会うと、そこにまだ節子がいるように感ずることもあります。
やはり湯島のオフィスは撤退するわけにはいきそうもありません。
| 固定リンク
「妻への挽歌12」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2400:怠惰な1日(2014.04.07)
- ■節子への挽歌2399:自分のための日(2014.04.06)
- ■節子への挽歌2398:第4期のはじまり(2014.04.01)
- ■節子への挽歌2397:菜の花は食べられてこそ喜ばれる(2014.04.01)
コメント
佐藤様 お久しぶりです
いつも拝見しております。
奥様への優しい思いを讀ませていただくたび、羨ましく感じたり
佐藤さんの深い「愛」が伝わってきます。
三日前、なぜか童謡の「月の砂漠」を口ずさみながら、深夜の散歩をしていました。
そのまま家に帰り、月の砂漠を描きました。
鳥取砂丘を思い浮かべながら描いたのですが、書き終わって調べてみると
この歌は、千葉県夷隅郡御宿町の御宿海岸がモデルになっているとの記述がありました。
千葉に素晴らしい海岸砂丘があるのですね、鳥取と千葉の海岸砂丘。
私と妻の二人のつもりで描いたのですが、なんとなく佐藤様ご夫婦のようにも見えてきます。
佐藤様ご夫婦とは不思議な縁を感じます。
投稿: 山陰太郎 | 2013/11/19 00:21
山陰さん
御宿は昔は海水浴で賑わっていました。
わが家も子どもが小さい頃は、毎年、御宿に行っていました。
その砂浜に、月の砂漠の像が立っていました。
しかし、最近は海水浴客は激減し、御宿は当時の賑わいはありません。
10年ほど前に、御宿の観光活性化のアドバイザーを頼まれて、久しぶりに訪問しました。
月の砂漠の像が新しくなっていました。
私が昔知っている御宿とは全く違っていました。
残念ながら御宿との付き合いは深まりませんでした。
観光概念を一新しなければいけませんが、行政はそれがなかなか難しいようです。
投稿: 佐藤修 | 2013/11/19 15:29