■節子への挽歌2296:湯島に集まる人たちも変わりだしました
節子
雪が降りそうな寒さです。
昨日は湯島に16人の人が集まり、ゲームをテーマにした長時間のサロンをやりました。
認知症予防ゲームから始まり、箸ピーゲーム、道具を使わないコミュニケーションゲーム、そして最後はラフターヨガでした。
実は明日もサロンですが、今月は毎月バラバラにやっているサロンを横につなげながらのサロンをやっています。
節子がいなくなったので、こうしたサロンの開催も大変なのですが、最近は私が何も言わないのに、参加者みんなで終了後、後片付けを手分けしてやってくれます。
その上、お菓子まで持ってきてくれる人もいます。
昨日はうっかりして、もらったお菓子を出すのを忘れてしまいましたが。
珈琲を淹れたり、お菓子の準備をしてくれるのも、参加者が自発的に動いてくれます。
私は最初の口火を切るのと最後の締めをするだけで、後は寝ていても大丈夫そうです。
唯一、節子がいた時との違いは、花がないことです。
玄関の花は、いまもなお造花です。
それも節子が来られなくなるのでと言って、セットしたバラの造花です。
一度、私の留守に部屋を使った人が花瓶を割ってしまったそうなので、節子がセットした時とは花瓶の色が変わっていますが。
昨日のゲームに共通するのは「人のつながりを育てる」と言うことです。
ゲームは目的でなく、そのための手段です。
節子がいない今も、湯島は人をつなげる場になっています。
うれしいことです。
ゲームをしながら、しかし少し寂しさはあります。
ここに節子がいたらどうだろうかと、時にふと思ってしまうのです。
そういえば、ラフターヨガをやってくれた人は、湯河原からわざわざ参加してくれました。
節子がいたら、もしかしたら、よい友だちになったかもしれません。
考えてみたら、昨日のサロンに参加してくれた人たちで、節子が知っている人は、小宮山さんと小林さんだけになりました。
時間の流れを改めて感じます。
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