■流行語大賞に思うこと3:「倍返し」
「倍返し」を流行らせたテレビドラマ「半沢直樹」は私も楽しく観ていました。
最終回の最後の場面を除けば、面白いドラマでした。
半沢直樹シリーズは、現代を舞台にした痛快時代劇と言われていましたが、そう思ってみていれば、納得できる話です。
ただ「倍返し」という言葉も、まあドラマと思えば、痛快かもしれませんが、ドラマをよく観ていれば、何がいったい「倍返し」なのだろうかと思えなくもありません。
ドラマでは「十倍返し」などという言葉も出てきましたが、要は、不満が溜まっているだろう視聴者には耳障りの良い言葉だったのでしょう。
自分では何もできない哀しい者たち同士(制作者と視聴者)の鬱憤晴らしと考えるのは、いささかひねくれているかもしれませんが、あまり気分の良い言葉ではありません。
慶事のお返しは「倍返し」と言われます。
慶びを分かち合うことで、さらに慶びが増していくわけです。
凶事のお返しは「半返し」です。
悲しみを分かち合うことが含意されています。
こういう意味での「倍返し」は、はやってほしい言葉ですが、今回の流行語大賞の「倍返し」はそれとは似て非なる言葉です。
ところで、「仕返し」の相場と言うのはあるのでしょうか。
そこで思い出すのは、東西冷戦時代の抑止力議論です。
一方に核兵器増強につながるエスカレーション理論、一方に軍縮を目指すオスグッド理論がありました。結果的には、後者が歴史の主流になりました。
相手への「返し方」を、報復ではなく、支援へと変えたのです。
しかし、その教訓はなかなか定着はしません。
9.11に始まるアメリカ政府の報復は、倍返しだったかもしれません。
「負の倍返し」は、根深い欧米の文化かもしれません。
人権解放の象徴とされるフランス革命はジェノサイドだったと渡辺京二さんは「近代の呪い」で書いています。
そこにも「負の倍返し」を見ることができます。
日本の仇討ちには、それをどこかで終焉させるルールがあったように思います。
決して、倍返しなどしなかったでしょう。
話がそれだしていますが、半沢さんのような「負の倍返し」は社会を荒廃させるだけでしょう。
社会だけではありません。
自らをも壊していくでしょう。
喜びを倍返ししあう社会には住みたいですが、恨みや災難を倍返しするような人が喝采を浴びる社会には住みたくないものです。
この言葉が流行語になること自体に、さびしさを感じます。
たかが流行語大賞。小難しく考えすぎているのではないかと笑われそうですが、いじめや自殺問題にもつながっている風潮でもあるので、生真面目に書いてしまいました。
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