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2013/12/22

■社会の実相と幻想

組織のトップが拳銃で殺害されるという事件が京都と北九州と立て続けに発生しました。
特に、餃子の王将の社長の事件は、今もって、動機につながるような話は出てこないようです。
そこに私は、時代の不穏さを感じます。
事件は、社会の実相を反映しています。

社会契約論の考え方では、「社会秩序は人々の自覚的で意図的な営為の産物」です。
社会を構成するメンバーが、その言動によって創りあげているのが、社会と言えるでしょう。
その社会で、不可解な、そして悲惨な事件が起こるとしたら、それは社会そのものを作り上げている私たちの言動が、その原因です。
もちろん、関係者の特殊性によって発生する事件もありますが、それにしても社会の風潮と無縁であるものは、たぶんないといっていいでしょう。
そう考えるのが、社会の一員である者の出発点でなければいけないと私は思っています。

ところで、時代の不穏さですが、陰湿さと言い換えてもいいかもしれません。
たとえば、今回の猪瀬事件です。
一時期流行した「陰謀論」をどうしても思い出してしまいます。
猪瀬さんのような、不器用で無害な人間が狙われるとは思いにくいのですが、〈個人〉ではなく〈立場〉が狙われたと思えば、納得できる話でもあります。
餃子の王将の大東社長も、そうかもしれません。

宮台真司は、病理的症状を強めている今の日本社会を「社会の底が抜けた」状態と呼んでいますが、底が抜けた社会はどうなるのでしょうか。
私たちが生活の拠り所とする安定した社会(アレントはそれを「社会」とは呼ばずに「世界」と呼んでいます)はどんどん壊れてきているということでしょうか。
もしそうであれば、壊れた社会で暗躍する人が出てきてもおかしくありません。
言い換えれば、そうした人の暗躍を許しているのもまた、私たちだとも言えるわけです。

いじめ問題にしろ、自殺の多発にしろ、生活保護対象者の増加にしろ、振込み詐欺の横行にしろ、深刻な問題はたくさんあります。
その一方で、忘年会の単価が上昇したとか、高価なおせちが増えたとか、浮かれた報道も増えてきました。
報道は、相変わらず「幻想」ベースです。
社会は「実相」よりも、そうした「幻想」が支配する場でもあります。
「幻想」はバブルを生み、勘違いした人たちによって実相が作りだされます。
そして、壊れていくわけです。

ハーバーマスは、生活世界はどんどん「植民地化」されると警告をならしていました。
私は、そうした動きに抗して「脱植民地化」していこうとしていますが、どちらが幸せかはわかりません。

何を書こうとしていたのか。
時代の不穏さは、私たちがつくっているのだということを書こうと思っていましたが、ちょっと話が違う方向になってしまいました。

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