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2013/12/20

■節子への挽歌2298:ドラマの主人公としての人生

節子
最近、自分を相対化して考えることがだいぶできるようになってきました。

テレビでは、毎日、さまざまな事件が報じられています。
たとえば、交通事故の死亡事故に触れても、以前は、可哀相にと思うくらいでした。
しかし、今はそうではありません。
その一人の死の周辺で、さまざまなドラマが起こっているだろうなと思うわけです。
死んだ人はそこで終わったとしても、そこから始まるたくさんの物語があるはずです。
報道では過去の事件や事故として報じられますが、実は本当の物語は、そこから始まります。
しかも、一つではなく、たくさんの物語が、です。
そうしたことへの想像力が、最近は働くようになってきました。
報道されていることは、実は氷山の一角のことでしかないのです。

テレビのドラマもいろいろとありますが、そこではさまざまな事件や事故が起こります。
波乱万丈であればあるほど、ドラマとしての面白さは高まります。
仮にあたたかなホームドラマだとしても、山あり谷あり、悲劇あり喜劇ありでしょう。
ドラマの観客としては、スリルに富む場面があればこそ、主人公に自らを同化できるとも言えるでしょう。
主人公に降りかかってくるさまざまな不幸や難局も、ドラマの魅力を高めるはずです。

ところが自分の場合は、どうでしょうか。
そうしたドラマは歓迎できるでしょうか。
それよりも、何も起こらない人生のほうがいいでしょうか。
幸せなことだけ起こってほしいと言うのは、たぶん不可能でしょう。
なぜなら「幸せ」は相対的なものだからです。
それに、毎日が単調な繰り返しであれば、退屈してしまうでしょう。
そして、とても幸せだと思えないでしょう。

もしドラマの主人公に、山あり谷ありを望むのであれば、自らの人生も、山あり谷ありのほうがいいのではないか。
テレビドラマの場合は、結局、最後には主人公は幸せになるのだから、途中の不幸や難局は、むしろ最後の幸せの増幅剤として受け容れられるのでしょうか。
そういう面はあるかもしれませんが、それだけではないでしょう。
私たちは、途中の波乱万丈な展開そのものを楽しんでいるように思います。
たしかに、最後に主人公が不幸のまま終わった場合は、何か気分がすっきりしないかもしれませんが、なにが不幸かは人それぞれですし、大きな視点で考えれば、一見不幸なようでそうではないこともありえます。

自分の人生を見ている自分の立場から言えば、山あり谷ありの人生のほうが楽しいのではないか。
そんな気が、私は以前からしているのですが、最近、それがかなり実感できるようになってきました。
それが、冒頭の、自分を相対化して考えることができるようになってきたという意味です。

こう考えると、自分の人生も違ったように見えてきます。
テレビの主人公は、自分で勝手に物語を変えることはできません。
シナリオ作家が書いているとおりにしか、ドラマの人生は進みません。
では実際の自分の人生はどうでしょうか。
主人公の私が、勝手に生き方を変えられるのでしょうか。
これは、かなり難問です。
つい最近までは、自分の人生は自分で決めなければいけないと思っていましたが、どうも必ずしもそうではありません。
それもまた、自分を相対化して考えることができるようになってきたということの、もう一つの意味です。

波乱万丈とはいえませんが、苦楽半々の私の人生のシナリオを書いているのは誰なのでしょうか。
もう少し上手な書き手に書いてほしかったような気もしますが、まあそれなりに良い人生なのでしょう。
節子の人生も、そうだったに違いない。
それもまた相対化できるようになったこその考えです。

さて、幽体離脱まで、あと一歩です、とも言えないこともありません。

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コメント

佐藤様 こんばんは

私へのお気遣いは無用ですから・・

師走の12月
今日は初雪が降りました。 あの3年前の忌まわしい日です。
辛抱強い妻が初めて弱気を口走しり、「病院へ連絡を・・・」と言いながら、苦痛に歪んだ顔

笑顔とうれし泣き以外の妻の顔を、始めて見ることになった日。
この初雪は、私にとっては悪魔のように見え、心がざわめき真っ暗な底なし沼に入り込んでしまいます。

佐藤さんがおっしゃる最近多発する命に係わる事件や事故を、見過ごすことは出来なくなりましたね
「命」というものの本質が分かるような気がしております。

「命は地球より重い」とか、よく巷では聞いたりもしますが、そのような例えをすること自体がナンセンスのように思えます。
特に、他人同士でありながら親子の繋がりよりも強い絆を結ぶ夫婦の互いの命は、地球と比べようもないほど重いものだと確信できました。

どこかで出会い共に暮らし、いつかは別離の道を辿る夫婦、血の繋がりもなく永遠の他人同士の夫婦
なのに互いの思いも通じ合い、なんでも相談できる間柄、二人の世界は、お互いの為なら「この命」を捨てること出来る・・・かも

このような夫婦は、性格や趣味が違ったとしても、真実の思いやお互いを慈しむ心は同期しているのでしょうね
ですので、二人が多少離れていても、相手の思いや考えていること、悲しんでいることが分かるのかもしれません
だからと言って無理をしてまで、楽しく明るく暮らす必要はないと思います。
無理はストレスが大きくなるだけですから

今日知人から、「妻を亡くした男は、3年ぐらいで後を追う人が多いらしいぞ」と聞かされました
私はあと2ヵ月ほどの余命なんですね
「命」に係わる話を、こともなげに語れる知人は、今幸せな人生なんでしょう

あと2年ぐらいは生きたいと思っているんですが・・

投稿: 山陰太郎 | 2013/12/21 03:40

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