■節子への挽歌2309:「男前の生き方」「女前の生き方」
節子
年末に来るのは、訃報のはがきだけではありません。
いろんな人たちから今年の報告なども兼ねて、いろんなメールが届きます。
もっとも最近は、義理堅くていねいに報告してくれる人は少なくなってきましたが、これはもしかしたら、私の付き合い方が粗雑になってきているからかもしれません。
反省しなければいけません。
しかし、人数は減ってきたとはいえ、そういう年末の挨拶はうれしいものです。
報告ではありませんが、昨日のサロン用にとわざわざ珈琲を送ってきてくれたKさんにお礼の電話をしたら、めずらしく、ちょっと元気がないのが気になりました。
そういえば、Kさんとは今年は一度も会っていないような気がします。
いつでも存在感があるので、節子と同じで会わなくても隣にいるような存在なので、あんまり会いに行くことも考えないのですが、ちょっと気になりました。
それで少しだけ、まじめな話をしました。
お互いの近況を少しだけ話題にしたのです。
少しだけ話は聞いていたのですが、相変わらず「任侠の世界」の生き方を続けているようです。
誤解があるといけませんが、「任侠の世界」とは「筋を通す生き方」あるいは「男前の生き方」です。
私が目指す生き方でもありますが、私にはなかなか実行できない生き方です。
そうした「筋を通す」ために、最近はかなりハードな状況にあるようです。
如何に頑強とはいえ、歳も歳ですので、無理をしなければいいのですが。
電話で話をしているうちに、ますます心配になってきました。
電話では、実はKさんのほうが私のことを心配してくれていたのですが、他者のことを心配するのは、自らが弱くなっているからともいえます。
それもこの数年、私自身が体験したことです。
年が明けたら、一度、会いに行こうと思います。
Kさんは、節子が逝ってしまってからの知り合いですが、節子もよく知っているTさんからはメールが来ました。
Tさんの生き方も、ドラマがあります。
「女前の生き方」という言葉があればそういいたいところです。
最近は要職にもあり、かなり多用のようですが、自分をしっかりと持とうとしているところが好きです。
それに強ぶっていますが、実は結構弱いのです。
これはKさんも同じかもしれません。
彼女との付き合いは、もう20年を超えるでしょうが、不器用ながら、筋を通して誠実に生きているのもKさんと同じです。
年が明けたら、Tさんにも会いたくなりました。
来年は、また動き出そうと思います。
身体が持てばですが。
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